日本で育ち、世界中でプレー。カナダ代表・中島ファラン一生選手インタビュー。

インタビュー

一生選手は欧州リーグ(デンマークやキプロス)などで長く活躍致しました。欧州リーグの良さなどを教えてください。

ヨーロッパでは1~2試合で人生変わることもあります。シモン・ケアーなんかも2~3試合を評価されてパレルモに行ったんですよ。他にも色んな選手がチャンスをつかんでPSVとかドイツのクラブに行くこともありますね。俺もアーセナルの記事が出たときは、オランダやイタリアからスカウト来ましたね。引っ掛かりませんでしたが(苦笑)ただ、移籍金が凄く高かったので移籍できませんでしたね。俺も4年と長期契約ではなくて、1~2年の短期契約にしとけばよかったと思います。実力も大事ですが、タイミングも重要ですね。若い選手は短期契約にしたほうがいいと考えますね。

あと、エージェント(代理人)との契約も考えたほうがいいですね。エージェントはネットワークなんで、繋がりのあるクラブしか行けないんですよね。俺も最初の頃はエージェントにやらせていたんですけど、契約していなかったらもっと色んなとこへ行けたかなと思うんです。だから、若い選手にはエージェントと契約するなとアドバイスしていますね。欧州のサッカー選手はジェットコースターみたいなもんですね。

Forza Barca !!! #forzabarca

Issey Nakajima-Farranさん(@11issey)が投稿した写真 – 2015 6月 6 9:40午前 PDT

一生選手はデンマークからオーストラリアに渡り、ブリスベン・ロアーへ移籍しました。Aリーグでどのように選手生活を過ごしましたか?

ノアシェランにいた頃に弟のパリス(中島ファランパリス)と一緒にプレーできるチャンスがあったので、ACホーセンスに移籍しました。その後、オーストリアのブリスベン・ロアーに移籍したんですよね。ブリスベンはACLに出てFC東京でやれるチャンスがあるかも?と監督に誘われて決めたんですよね。いつか、日本に帰ってプレーしたい気持ちがあったんです。俺は悩んだんですけどね。CLに出るか、欧州のトップリーグに行くか、色んな国でサッカーを楽しむのかという感じですね。でも、FC東京と試合できるというのが魅力的だったので、オーストラリアに行くしかないと思ったわけです。そこで活躍すればJ1に戻れるかもしれないと思ってオーストラリアで頑張りました。

メディアにも監督にもACLに出るために、オーストラリアに来たとも公言していました。そしたら、メディアからACLメンバーから外されたと言われました。俺は監督に男として、面と向かってお前を外すと言って欲しかったんですよね。無理して俺は無理してオーストラリアに来たのに、メディア使って伝えることは欧州ではありえないことなんです。あの時の俺は馬鹿だったと思います。その時、メディアに対して言い過ぎなくらい監督を批判したんですよ。『男らしくないとか、欧州ではありえない!プロとして駄だめだ!』とかね。それで監督と関係悪くしてしまったんですよね。冷静に考えたら、俺を外すってことは分かってたんですけどね。ただ、面を向けて俺に言って欲しかったんですよね。毎日会っているのにね。それから、キプロスに移ったんですよ。その時は怪我したり、給料が出なかったりと最悪な経験をしましたね。キプロスでプレーしてから、トロントから話があってトロントへ移りました。

中島ファラン一生4
ブリスベンロアー在籍時の一生選手by Qoly

現在はどのようなサッカー活動をしていますか?

2014年の12月にマレーシアのトレンガンヌFAからオファーが来ました。最初は交渉が纏まらなかったりして2015年4月に入団を決めました。今まで様々な国でやってきて、酷い目にもあったりしていたから精神的に辛かったんですよ。そこで色んな国からオファーを受けたんですけど、リラックできるロケーションにしようと考えました。トレンガンヌはリゾート地だったこともあるし、大きなプロジェクトを持つチームだから決めました。今はサッカーを凄く楽しんでいますよ!

一生選手の選手生活の中で、岡野雅行氏とのエピソードは重要であるとお聞きしました。お話をお聞かせください。

ちょうど俺がカナダ代表に選ばれた時に、浦和レッズが優勝したセレブレーション(飲み会)に友達と一緒に参加したんですよ。ある1人の選手が引退を考えていたんですね。その選手は「浦和に出れないから、引退しようかな。J2には行きたくないし」と言っていたんです。俺はJ1優勝したんだから、他に移籍するクラブはいっぱいあるよと言ったんですね。そこに岡野さんが「お前は何様だ?知ったように言うな!(日本では)移籍は簡単にできるもんじゃない」と怒られました。俺は「J1優勝したんだから、他のクラブには行けますよ!」って食い下がったわけです。そこで俺は日本で見られる目だけで、自分の夢を諦めるのはよくないと言ったんです。本田だってオランダの小さいクラブ(VVVフェンロ)からACミランの10番ですよ。欧州なら認めてくれる目は違うし、他にも挑戦できるルートはあるんだってね。今は違うけど、日本人選手は沢山のルートを考えてないと思いましたね。だけど、俺は21の若造で岡野さんはJリーグのスーパースターでしたからね。ただ、とりあえず頑張ればどうにかなると思ってやってはいますね。岡野さんと熱く話したことは自分にとって大きな経験ですね。

最後にJリーグに対する思いをお聞かせください。

マレーシアで引退しようかなと考えています。後、2~3年までプレーできればなと。ただ、MLSにも帰ることもできますけど、日本でキャリアを始めたから日本でキャリアを終えたいですね。3~4回くらい都並さんに「俺をJリーグクラブに紹介して欲しい」と言っていますね。ただ、30歳超えたカナダ人を獲るならブラジル人を獲ってしまいますよね。そして、カナダ代表に出場したこともあるから日本人では出場できないんですよね。清水エスパルスのヤコビッチにはジェラシーがありますね。あいつはレッドスター(FKツルヴェナ・ズヴェズダ)にいたけど、そんなに活躍しなかった。代表のキャップ数も俺より少ないのに、何であいつがJリーグに行けるんだよってね(代表ではルームメイトで仲が良いです)!いつか、日本のグランドに立ちたいです!今までお世話になった指導者の皆さんに、俺の成長を見せたいですね。ただ俺は1部でやるポリシーがあるんで、チャンスがあればやりたいですね。

中島ファラン一生選手
カナダ代表 vs 日本代表にて。ハーフナー・マイク選手と。

中島ファラン一生選手ありがとうございます。マレーシアでの新しい挑戦応援しています!

中島ファラン一生選手
ハメス・ロドリゲス選手とのマッチアップシーン。

中島ファラン一生

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今回の記事はQolyとの共同取材となります。Qolyでは中島ファラン一生選手のアーティスティックな一面や、海外での生活にも触れています。
中島ファラン、サッカー選手兼アーティストという一生(Qoly)

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