浦和レッズの青木拓矢選手(以降青木選手と記載)は、3年前に大宮アルディージャから移籍しました。その時には、禁断の移籍!と言われたものです。何故だかご存知ですか?
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学生時代の先輩後輩にも浦和レッズ関係者
青木選手は1989年群馬県高崎市の出身の26歳。小学校の時にサッカー少年団に入団してサッカーを始めました。そのサッカー少年団の先輩に、実は今浦和レッズでチームメイトの選手がいたのです。それは石原直樹選手でした。
怪我からの復帰を期する浦和レッズの背番号11・石原直樹選手は知られざるテクニシャン!
高校は、前橋育英高校に進学し2年生の時から2年連続で全国高校サッカー選手権に出場を果たし、全国的に頭角を現します。元浦和レッズ(現トルコのブルサスプル)の細貝萌選手は高校の後輩にあたります。
高校を卒業すると、2008年に大宮アルディージャに入団。当初は出場機会に恵まれませんでしたが、3年目から大宮アルディージャでも頭角を現します。
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日本代表にも選出
大宮アルディージャに入団し、U-19、U-20日本代表にも選出されます。主力選手として活躍しますが、2008年U-19アジア選手権は4位、2009年U-20東アジア競技大会では準優勝と、アジアの戦いで優勝を経験する事ができませんでした。
2009年12月にはアジアカップ最終予選のイエメン戦に日本代表として初選出されますが、出場機会には恵まれませんでした。
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大宮アルディージャで主力に
大宮アルディージャ入団3年目から、青木選手は主力選手として活躍し始めます。ディフェンシブな中盤の要として、大宮アルディージャでの地位を確立します。入団3年目の2011年6月の名古屋グランパス戦でプロ初ゴールを決めます。
地味な存在ながら、チームには欠かせない要の選手になっていきます。
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そして禁断の移籍
2014年、青木選手は浦和レッズに電撃移籍します。実はこの移籍が禁断の移籍と言われる移籍だったのです。
埼玉県さいたま市には浦和レッズと大宮アルディージャというJリーグクラブが2つあります。実はこのクラブ間では選手の移籍は一度も無かったのです。同じ市内に所在するとは言え、経営主体は全く別法人ですから、選手の移籍があっても不思議ではないのですが、さいたまダービーを行うクラブどうしで現実的に選手の移籍は一度も無かったのです。
そのタブーを破ったのが、青木選手の移籍でした。それが禁断の移籍として今も語り継がれているのです。
しかしその翌年の2015年には、ズラタン選手も大宮アルディージャから浦和レッズに移籍しましたので、今では両クラブの選手移籍の関係は、普通の関係になりました。いわば青木選手の禁断の移籍が普通の関係になるきっかけとなったのです。
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大宮アルディージャとの縁
浦和レッズに移籍した2014年、シーズン前のFCソウルとの練習試合で怪我を負ってしまい開幕に出遅れてしまいます。
青木選手が怪我から復帰し、浦和レッズの一員として初めて得点するのはナビスコカップ予選リーグ第二節の古巣大宮アルディージャ戦でした。後半途中から投入されると、古巣大宮サポーターから大ブーイングを受けるものの、何と勝ち越しのゴールを古巣相手に決めたのです。劇的な浦和レッズのデビューとなりました。
又、リーグ戦での浦和レッズの初スタメンも第13節の大宮アルディージャ戦だったのです。奇しくも、古巣大宮アルディージャとは不思議な縁があるのです。
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スーパーサブとして貴重な戦力
青木選手のプレイエリアは基本的にボランチ。ディフェンシブな中盤の選手として、後半からゲームを締める役割に重きを置かれて起用されています。
球際に強い上に、起用方法からも守備的ではあるのですが、今シーズンは攻撃の要としてゲームをコントロールする事にも努めている様に感じます。
タレント豊富な浦和レッズの中にあってさえ、多くのゲームに起用されていることからも、ミシャ監督やチームから信頼されている事がわかります。
ACL対応のターンオーバー制を踏まえても、今シーズンの青木選手には更なる活躍が求められています。又その期待にこたえてくれる選手だと思います。是非ご注目下さい。
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