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湘南へ移籍。サラゴサ退団の長谷川アーリアジャスールのこれまでの歩み

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2016/04/06 22:56

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NEWS

スペイン2部リーグのレアル・サラゴサでプレーしていた長谷川アーリアジャスールの湘南ベルマーレ移籍が決まりました。久々の国内復帰でどんな活躍を見せてくれるのか。長谷川の選手キャリアをまとめました。

長谷川アーリアジャスール1
by ドメサカブログ

イラン人と日本人のハーフ

埼玉県鶴ヶ島市出身の長谷川はイラン人の父と日本人の母の間に生まれた日本国籍のハーフでした。小学校4年生で長鶴サッカースポーツ少年団に入団してサッカーを始め、中学時代は坂戸ディプロマッツに所属。中学3年生時に横浜F・マリノスのスカウトの目にとまり、横浜F・マリノスのユース入団が決まりました。

ユースからトップへ昇格

長谷川アーリアジャスール2
by NAVER

横浜FMユースに入団した長谷川はボランチの位置でゲームメーカーを担当。そして2007年にトップ昇格を果たすと開幕戦で早野宏史監督(当時)の抜擢でスタメン出場を飾ると決勝点のアシストを演出。2試合目もスタメンからフル出場するも、その後の練習で骨折してしまいU-20W杯の出場を逃しました。その骨折を境にその後も負傷に苦しみ1年目は2試合の出場に留まりました。08年にプロA契約を結び、09年には攻撃的なポジションも任されるようになり、10年にはFWでもプレーするようになりました。

イラン代表にもリストアップされた

長谷川アーリアジャスール3
by JFA

11年末にクラブの慰留を断り、FC東京へ移籍。一説には当時の監督との考え方が合わないことへの移籍と報じられました。その折り合いがつかない監督も移籍が決まった後に退任となり、当時は複雑な心境だったみたいです。しかしFC東京ではランコ・ポポヴィッチ監督の信頼を得て開花。移籍1年目の12年アジアチャンピオンズリーグでの活躍からイラン代表にリストアップされましたが日本代表にも初召集されたことで日本代表を選択しました。そしてポポヴィッチを追う形で14年にセレッソ大阪へ移籍。さらに15年7月にはポポヴィッチが指揮を執るリーガエスパニョーラ2部のレアル・サラゴサへ移籍するも12月にポポヴィッチ監督が解任されると長谷川も1月に契約解除となってしまいました。

空白の期間を経て湘南移籍で国内復帰となります。背番号も15番に決まり、湘南の上位進出の起爆剤となれるのでしょうか。楽しみですね。

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