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怪我からの復帰を期する浦和レッズの背番号11・石原直樹選手は知られざるテクニシャン!

扇ガ谷 道房

2016/03/28 07:36

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浦和レッズの昨年の大型補強の目玉選手として背番号11番を与えられた石原直樹選手(以降石原選手と記載)は、不運にも怪我で昨シーズン殆どのゲームに出場する事ができませんでした。
人材豊富な浦和レッズの中にあって、今年は昨年の汚名返上に燃えているはずです。地味な存在の選手ですが、テクニックの高さはサッカー通には知られた存在です。復帰を期する浦和レッズの背番号11についてご紹介致します。

石原直樹1
by Football Shirts Voltage .com

無名の光る原石を発見したのは湘南ベルマーレ

石原選手は1984年群馬県高崎市の出身。サッカーを始めたのは地元のサッカー少年団。現在浦和レッズでチームメイトの青木拓矢選手はそのチームの後輩で、6年生と1年生として一年間だけ同じチームに在籍していたそうです。
その後高校卒業をするまでJリーグの下部組織に入ることも、特別サッカー強豪校へ進学することもなくサッカーを続けていました。個人としても、在籍した高校サッカー部自体も無名だったのに、石原選手の原石としての才能を発見したのは湘南ベルマーレでした。石原選手の様に、無名の原石を掘り起こすスカウティングの仕事ができるのは素晴らしいことだと思います。
全く無名だった石原選手は2003年に当時J2だった湘南ベルマーレに入団します。しかし、相次ぐ監督の交代や怪我に悩まされて入団して3年間は鳴かず飛ばずの状態でした。状況が一辺するのは2006年、菅野将晃監督になった湘南ベルマーレは、攻撃的サッカーを標榜し、石原選手はレギュラーの座を射止めます。2006年9得点、2007年12得点、2008年18得点と、年を追う毎に得点を重ねて、2007年からはエースナンバーの背番号11番を与えられました。
無名の選手が、J2で輝き始めたのです。その活躍振りをJ1の大宮アルディージャは見逃しませんでした。

石原直樹2
by サッカー CRCES NET

大宮アルディージャに移籍

2009年シーズンから、J1の大宮アルディージャの一員になりました。初のJ1でしたが、早くからレギュラーに定着し、J1初年度の得点はチーム2位の7得点を上げました。2年目の2010年はチーム1位9得点。湘南時代と同様に年々得点を伸ばします。
しかし、身体能力の高さが逆に怪我を誘発し、2011年シーズンは途中からの出場が少なくなり、3年目の得点は4得点と前年の半分以下という結果に終わってしまいます。そしてシーズンを終えて、石原選手はレギュラーの座を求めて、李忠成選手が移籍したサンフレッチェ広島に移籍を決意します。

石原直樹3
by Football Shirts Voltage .com

サンフレッチェ広島で能力が開花

2012年サンフレッチェ広島に移籍した石原選手は、その才能が開花すると共に、自身初のリーグ優勝を経験することになります。大宮アルディージャでスーパーサブの役回りに甘んじていた石原選手は、レギュラーとして定着し、得点も7得点にまで戻して、リーグ優勝に大きく貢献しました。それは、運動量の豊富な石原選手の能力が、サンフレッチェの躍動感ある攻撃サッカーと見事に連動した結果だと言えます。
翌2013年も活躍は更に広がります。古巣大宮とのゲームで自身初となるハットトリックを決め、シーズン通算得点はJ1で初の二桁10得点を達成。その上で、サンフレッチェ広島は連覇を達成するのです。石原選手は更にチームに貢献すると共に、原石は確実に磨かれて開花したのです。
2014年も10得点を上げた石原選手は、期限満了に伴いJリーグで最多観客動員を誇る浦和レッズに移籍する事が発表されました。ミハイロ・ペトロビッチ監督がサンフレッチェ広島から浦和レッズの監督に就任した前後以降、有力選手のサンフレッチェ広島から浦和レッズの移籍も増加している現状があります。生え抜きではないものの、石原選手もその一人になりました。

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石原直樹4
by Web Sportiva

ビッグクラブの背番号11に

2015年、石原選手は浦和レッズの一員になります。そして与えられた背番号はエースナンバーの11番。浦和レッズの背番号11と言えば、今でもワンダーボーイとして浦和レッズサポーターに絶大な人気を誇る田中達也選手のつけていた番号として知られています。田中達也選手の後、関口訓充選手が2年間着用して石原選手に引き継がれます。その背番号が移籍初年度に与えられたという意味は本当に大きいものがあります。
開幕戦から3試合連続でスタメン出場。4試合目のアウェイ川崎フロンターレ戦で予期せぬ事態が発生します。後半17分に谷口彰悟選手と接触して負傷してしまいます。右膝前十時靱帯損傷と診断されて4月23日に手術したと報道されました。半年間のリハビリを経て、11月11日の天皇杯4回戦町田ゼルビア戦で復帰します。移籍開幕戦からスタメン出場して、活躍が期待されましたが、結局2015年シーズンはリーグ戦4ゲーム天皇杯1ゲームの出場に留まり、得点もゼロでシーズンを終えました。きっと無念だっただろうと想像します。

石原直樹5
by SOCCER KING

天性の運動神経の高さ

石原選手のプレイスタイルは、縦横無尽にピッチ上を走り回る運動量の高さにあります。それは天性の運動神経の高さに根ざしていると筆者は見ています。
体格的には恵まれたサッカー選手とは言えませんが、スピード、スペースを見つけて裏に抜ける感性、ドリブル能力、トラップ&パスの正確性など、運動神経の高さはゲームを見ていたらよくわかります。
それは、高校時代に無名な選手であったのに、湘南ベルマーレが発見してしまったサッカーセンスであり、J2J1での経験を通じて磨きあげられた能力だと思います。
にもかかわらず、石原選手は代表に選出された経験はありません。唯一の経験は、2014年のサンフレッチェ広島時代に一度だけ日本代表候補に選出されて、候補合宿に参加経験があるだけなのです。

石原直樹6
by SOCCER KING

心に期する2016年

2016年シーズンが開幕し、石原選手は途中出場ながらACLとリーグ戦共に出場を果たしています。昨年怪我で棒に振ってしまった選手としては期するものが必ずあることでしょう。2007年から遠ざかっているACL制覇を含めて、ここ数年あと一歩でリーグ優勝を逃している浦和レッズにとって、チームとしても今年のシーズンは期するものがあるはずです。
人材豊富な浦和レッズと言えど、リーグ、ACL、カップ、天皇杯の全てに優勝を目指す中で、ターンオーバー制でチーム一丸となって乗り切る事も求められます。人材豊富な浦和レッズであっても、ターンオーバー制で常時の戦い方を毎回維持するのは難しいと言えます。今年の浦和レッズには、昨年の挽回を期する石原選手の力が求められています。最も期待したい選手の一人です。どうぞ注目して下さい。

石原直樹7
by SAMURAIイレブンまとめ

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