日本サッカー界の歴史に残る「ドーハの悲劇」を経験した選手たちが、現在Jリーグの監督として活躍しています。
W杯初出場への最終戦
1993年10月カタールのドーハで行われたワールドカップ・アジア地区最終予選対イラク戦。
ワールドカップ初出場をかけた予選最後の試合でした。
勝てば本大会出場、引き分けでも他チームの結果次第では出場が決まる状況で、日本は三浦知良選手、中山雅史選手の得点でリード。
しかし試合終了間際、イラクのゴールが決まり2−2の引き分けに。
日本は得失点差で及ばず予選敗退となりました。
Jリーグの監督に
ラモス瑠偉
by Number Web
1957年2月9日生まれ MF
当時の所属 ヴェルディ川崎
国際Aマッチでの唯一のゴールは日本代表最年長得点記録(36歳85日)。
2006年から2シーズン古巣東京ヴェルディ1969の監督を務め、2014年からFC岐阜の監督に就任しています。
井原正巳
1967年9月18日生まれ DF
当時の所属 横浜マリノス
「アジアの壁」と呼ばれ、日本代表出場試合数は歴代2位。
代表でのキャプテン歴も長く、1998年ワールドカップフランス大会へ出場しています。
今シーズン、アビスパ福岡で自身初の監督に就任しました。
森保一
by Web Sportiva
1968年8月23日生まれ MF
当時の所属 サンフレッチェ広島
日本のボランチの先駆け的存在。
2012年、前身のマツダ時代からプレーしていた広島の監督に就任し、その年と翌年のリーグ連覇を成し遂げました。
現在4シーズン目を迎えています。
長谷川健太
by GAMBA OSAKA
1965年9月25日生まれ FW
当時の所属 清水エスパルス
2005年から6年間清水の監督を務め、2013年にはJ2へ降格したガンバ大阪の監督に就任。
1年でのJ1復帰を果たし、翌年にはJ1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯の三冠を達成しました。
今シーズンもチームを指揮しています。
高木琢也
1967年11月12日生まれ FW
当時の所属 サンフレッチェ広島
「アジアの大砲」と呼ばれたストライカーで、ドーハではベンチメンバーでした。
横浜FCと東京Vでは、シーズン途中で監督を解任されました。
2010年から2012年はロアッソ熊本、2013年からはV・ファーレン長崎の監督を務めています。
1993年はJリーグ開幕の年。
当時の中心選手たちが、今は指導者となってJリーグを盛り上げています。
監督同士の対戦も見どころです。