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日本サッカーの歴史そのもの!日本代表過去の背番号10まとめ

桜川あさひ

2015/08/16 15:30

2015/08/23 06:32

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NEWS

日本代表10番
by SOCCER KING

選手にとって背番号はさまざまな想いや意味を込めて背負うもの。そして、サッカーにおける背番号「10」は、そのチームのエースの証。日本サッカーの歴史を、主要大会で日本代表の背番号「10」を背負った選手たちで振り返ってみます。

大榎克己〜アジア杯1988〜

日本代表10番2
by SOCCER DIGEST WEB

大榎克己(おおえのき かつみ)
1965年4月3日生まれ
静岡県出身
歴代所属チーム:清水東高校→早稲田大学→ヤマハ発動機サッカー部→清水エスパルス(2002年選手引退)
監督歴:早稲田大学ア式蹴球部監督→清水エスパルスユース監督→清水エスパルス監督(2015年シーズン途中で退任)

初出場したアジア杯、エースは№1テクニシャン!

1988年に開催されたアジアカップカタール大会。初出場した日本代表の背番号「10」を背負った選手は、前清水エスパルス監督の大榎克己さんです。
現役時代は、サラリーマンとサッカー選手の二足の草鞋を経て、Jリーグ発足後は清水エスパルスに加入。トップ下から守備的なポジションまで熟せるテクニシャンとして、Jリーグ初期の時代を沸かせた選手でもありました。

ラモス瑠偉〜アジア杯1992〜

日本代表10番3
by SOCCER KING

ラモス瑠偉(らもす るい)
1957年2月9日生まれ
ブラジル・リオデジャネイロ出身
歴代所属チーム:サアジFC(ブラジル)→読売サッカークラブ/ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)→京都パープルサンガ→ヴェルディ川崎(1998年選手引退)
監督歴:東京ヴェルディ→FC岐阜

栄光と挫折…日本サッカーの成長に、この男あり!

サッカーファンならずともその名を知っているであろう、日本サッカー史上最高の背番号「10」・ラモス瑠偉さん。
1977年に来日、1989年に日本国籍を取得したラモスさんは、1992年に開催されたアジアカップ広島大会で日本代表の背番号「10」を背負い、初優勝に大きく貢献しました。

日本代表10番4
by web Sportiva

しかし、1993年アメリカW杯アジア最終予選のイラク戦で、あと一歩のところでW杯初出場を失った‘ドーハの悲劇’を経験。ラモスさんは、ドーハでのイラク戦が日本サッカーのスタートだったと後に語っています。
もしも、ドーハで惨敗の負け方だったら、フランスW杯には行けなかったかもしれない。あの悔しさがあったから、後の日本サッカーの成長に繋がったとするラモスさんの日本サッカー界に対する情熱は、今現在、そして将来のサッカー選手にも引き継いで貰いたいものであります。

名波浩〜1998フランスW杯・アジア杯2000〜

日本代表10番5
by SOCCER KING

名波浩(ななみ ひろし)
1972年11月28日生まれ
静岡県出身
歴代所属チーム:清水商業高校→順天堂大学→ジュビロ磐田→ACヴェネツィア(イタリア)→ジュビロ磐田→セレッソ大阪→東京ヴェルディ→ジュビロ磐田(2008年選手引退)
監督歴:ジュビロ磐田

W杯初出場の重圧を背負ったエース

日本が初めてW杯に初出場したフランスW杯。一勝も挙げることができず、世界の壁の高さを知った日本代表で背番号「10」を背負った選手は名波浩さんでした。
初出場の重圧を背負って出場したW杯。この大会で、名波さんの左足から放たれるパスは結果には繋がらず、日本の弱さと、自身の実力不足を感じたと後に語っています。

日本代表10番6
by FARO BLOG

その後、2000年に開催されたアジアカップレバノン大会では、日本の優勝に大きく貢献。さらには大会MVPに輝く活躍を見せました。
また、現役時代はジュビロ磐田の黄金期を支え、イケメンサッカー選手として女性からの人気も集めた選手でした!

中村俊輔〜アジアカップ2004・2006ドイツW杯〜

日本代表10番7
by SOCCER KING

中村俊輔(なかむら しゅんすけ)
1978年6月24日生まれ
神奈川県出身
178㎝/70㎏
利き足:左足
歴代所属チーム:桐光学園高等学校→横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)→レッジーナ(イタリア)→セルティック(スコットランド)→エスパニョール(スペイン)→横浜F・マリノス

日本サッカー史上最高のフリーキッカー

2000年に開催されたシドニー五輪では、U-23日本代表の司令塔として活躍。その後、A代表にも召集されますが、2002年の日韓W杯では周囲から期待されながらも、当時のトルシエ監督の選考基準と合わず落選します。
しかし、2006年に開催されたドイツW杯では背番号「10」を背負い出場。2004年に開催されたアジアカップ中国大会では、大会MVPに輝く活躍でチームの優勝にも大きく貢献しました。

また、中村選手と言えば、神業的なフリーキックが印象的な選手。多くの名シーンを誕生させたフリーキックは、今もなお、Jリーグの舞台で健在です!

香川真司〜アジアカップ2011・2014ブラジルW杯・アジアカップ2015〜

日本代表10番8
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香川真司(かがわ しんじ)
1989年3月17日生まれ
兵庫県出身
175㎝/68㎏
利き足:右足
歴代所属チーム:セレッソ大阪ユース→セレッソ大阪→ドルトムント(ドイツ)→マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)→ドルトムント

ロシアへの切符は、エースの活躍次第!?

日本代表10番9
by SOCCER KING

現在、日本代表で背番号「10」を背負うのは香川真司選手です。
2011年アジアカップカタール大会からエースナンバーを背負い出場。当時、就任当初のザッケローニ監督の期待に応えて、優勝に大きく貢献しました。
その後もザックJAPANの主軸選手として定期的に代表招集され、2014ブラジルW杯に出場。しかし、チームは一勝もすることなくグループリーグ敗退という結果でW杯を終えることとなりました。
そして、アジアカップ2015オーストラリア大会。日本代表は目標であった‘連覇’を達成することができず、ベスト8で敗退するという結果に。エースナンバーを背負う香川選手への批判は、W杯の惨敗から更に強まる方向になります。

ロシアW杯を目指す日本代表は、現在、先の見えない真っ暗なトンネルに迷い込んだようにも伺える状況です。光の射す方に向かうためには、エースの活躍は絶対であるように思えます。
日本代表をロシアに導くのは背番号「10」を背負う香川選手か、それとも新たにハリルJAPANの象徴となる選手が現れるのか。ロシアに向けて、日本代表の追い風ともなる、更なる声援を送り続けましょう!!

SOURCE : web Sportiva | Football Channel

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