2014年、2015年にFC東京を指揮し、今シーズンはサガン鳥栖の監督に就任したフィッカデンティ氏。
Jリーグ初のイタリア人監督について紹介します。
by 佐賀新聞
Massimo Ficcadenti(マッシモ・フィッカデンティ)
生年月日 1967年11月6日(48歳)
出身地 イタリア フェルモ
日本好き
「日本は第二の故郷」と語るフィッカデンティ氏は、焼肉やラーメン、納豆などの日本食を好む大の日本好きです。
現役時代に名古屋グランパスから獲得オファーがあったことから日本に興味を持つようになり、日本での監督就任以前に30回以上来日していたといいます。
選手としてのフィッカデンティ氏は、1985年にセリエB(イタリア2部)のクラブ サンベネデッテーゼでデビューし、MFとしてプレーしました。
ヴェローナやトリノなどに在籍し、2001年に現役を引退しています。
所属していたのはセリエBのクラブがほとんどで、セリエAでのプレーは2シーズンほどでした。
セリエで監督
指導者としてのキャリアは2001年セリエC2(4部)のクラブから始まり、古巣ヴェローナ(セリエB)も指揮しました。
2007年にはレッジーナで初めてセリエAの監督に就任しましたが、10試合で解任されています。
その後はセリエBからの降格危機にあったピアチェンツァを残留させ、セリエAに昇格したばかりでセリエA未経験の選手が多いチェゼーナを残留させるなど、難しい状況にあるチームで監督としての結果を出していきました。
チェゼーナでは自ら来日してJリーグを観戦し長友佑都選手の獲得を決めたそうで、長友選手にとってイタリアでの最初のクラブとなりました。
日本へ
FC東京の監督に就任した際のクラブの強化部長 立石敬之氏とは、フィッカデンティ氏が指導者としての道を歩み始めた頃にイタリアでのコーチ研修で出会いました。
ヴェローナ監督時代には立石氏がアシスタントコーチを務めていたという深い関係があります。
昨シーズンのFC東京は2ndステージ最終節の鳥栖戦で引き分け、年間3位から後退して4位となりチャンピオンシップ出場は逃しましたが、勝点63はクラブ史上最多でした。
イタリア人監督らしい組織的な堅い守備と細かな戦術でチームをつくり上げ、若手育成でも手腕を発揮しました。
鳥栖ではフィッカデンティ氏の堅守速攻の戦い方がチームに合うとして、イタリアサッカーの美学とも言える“ウノゼロ”(1-0での勝利)が求められています。
「戦えるチームをつくる」と抱負を語るフィッカデンティ氏に上位進出への期待がかかります!