イギリスの大手動画配信サービスDAZNとの2100億円にも及ぶ超大型契約を契機に、今シーズンのストーブリーグ(移籍市場)は、近年稀に見る活発な動きを見せています。
中村俊輔選手のジュビロ磐田への移籍や大久保選手(川崎フロンターレ→FC東京)をはじめ、家長選手(大宮アルディージャ→川崎フロンターレ)や大前選手(清水エスパルス→大宮アルディージャ)そして、日本代表の清武選手(セビージャ)のC大阪への復帰など、チームの看板的な選手の相次ぐ移籍。そして先日、合意には至っていないものの、ドイツ代表のポドルスキー選手(ガラタサライ)のヴィッセル神戸への移籍報道がありました。ビッグネームの来日に沸いたサッカーファンも多くいたことでしょう。
しかし、ここにきてまた新たにビッグネーム来日への熱気が再燃しています。それは、あのオランダ代表のファン・ペルシー(フェネルバフチェSK)をサンフレッチェ広島が獲得に動いているという報道です。
サッカーファンならば知らない人はいない、かの有名なファン・ペルシー選手ですが、これを機に、スタジアムで生ファンペルシーを見るべき理由を、これまでの歩みと共に振り返ってみたい。
画像引用元:
wikipedia
ロビン・ファン・ペルシー選手
1983年8月6日生まれ
オランダ・ロッテルダム出身
186cm/78kg
利き足:左足
歴代所属クラブ:エクセルシオール→フェイエノールト→アーセナル→マンチェスター・ユナイテッド→フェネルバフチェSK
オランダ代表として101試合出場50得点
小野伸二選手の元同僚
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http://blog.livedoor.jp/mub4614/archives/52385560.html
日本のサッカーファンにとって、ファン・ペルシー選手の第一印象は、”ヤンチャな若僧”だったのではないでしょうか。その頃、オランダの名門フェイエノールトへ移籍した小野伸二選手を追いかけてTVの前で絶叫したサッカーファンも少なくないでしょう。ファン・ペルシー選手は、当時の小野伸二選手とチームメイトでした。
2002年にUEFAカップを制したフェイエノールトは、華麗なテクニックで攻撃を牽引した小野伸二選手をはじめ、絶対的なエースストライカー、ファン・ホーイドンク選手がチームの中心を担っていましたが、当時19歳のファン・ペルシー選手は、その間を割って出るようにチームの中心選手まで上り詰めました。
しかし、その背景には、ファン・ホーイドンク選手が蹴るはずだったFKを勝手に奪うなど、そのヤンチャぶりはエースストライカーとの確執を生み、夜遊びが過ぎ、練習やミーティングに遅刻するなど、コーチ陣との衝突も絶えなかったそうです。彼の更生に一役買ったのが小野伸二選手だったいうエピソードがあります。
後に「小野は天才。オランダ代表の練習で彼より上手い選手はいなかった。」と語ったファン・ペルシーの言葉からも、若かりし彼の成長を後押しした日本人選手の存在が大きかったことが伺えます。
2シーズン連続、異なるチームでプレミアリーグ得点王
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http://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera-worldsoccer/archives/45542289.html
ファン・ペルシー選手が世界的なスターダムへと上り詰めたのは、やはり、プレミアリーグで2年連続の得点王を獲得したこと。しかも、異なるチームでという史上初の快挙ではないでしょうか。
2004年、ファン・ペルシー選手が、初の国外挑戦に選んだチームは、イングランドプレミアリーグの名門アーセナルでした。ティエリ・アンリの後釜として期待された2006ー2007シーズンから相次ぐ負傷のため欠場を余儀なくされていましたが、復帰後、得点を量産。キャプテンとしてチームを牽引した2011ー2012シーズンでは30ゴールを挙げ得点王に輝き、同年、イングランド国内でプレーする最も活躍した選手に贈られる、PFA最優秀選手賞を受賞しました。
翌年、ファン・ペルシー選手は、アーセナルとの再契約をせず、タイトルを争うライバルチームであるマンチェスター・ユナイテッドへの禁断の移籍を決断します。周囲の騒音を黙らせるが如く活躍した同選手は、26ゴールを量産、2年連続の得点王に輝きました。
日本人サッカーファンにとっては、香川真司選手(マンチェスター・ユナイテッド時代)とチームメイトだったことで同選手の活躍を目の当たりにしたという人も多いのではないでしょうか。