2位と勝点9差でJ2首位を独走する札幌。2013年からスタートした改革4年目にして実りの時を迎えている。by SOCCER DIGEST WEB
全22チームで行われている明治安田生命J2リーグは全42節中の暫定30試合を消化。長丁場のリーグ戦もラストスパートに入っています。J2は首位と2位がJ1リーグへの自動昇格となり、3位~6位がJ1昇格への残り1枠を争うプレーオフへの参戦権を獲得する事になります。
そんなJ2には今季J1から初めて降格となった清水エスパルスが参戦。日本代表選手も在籍するセレッソ大阪を含めて、J1でも中位クラスには匹敵する戦力が充実したクラブが複数ある中、開幕直後から好調を維持して首位を快走しているのは、今季からクラブ名を一新した北海道コンサドーレ札幌。現在2位の松本山雅に勝点9差をつけて首位を独走しています。
札幌はここまで30試合を消化して20勝6分4敗で勝点66を獲得。リーグ2位の48得点、リーグ最少の20失点を記録しています。「勝点より得点の方が多い場合は攻撃的なチーム」という傾向から考えれば、札幌は守備をベースにしたチームです。
ただ、そんな今季だけを振り返る事で彼等の本当の強さを知る事はできません。札幌は現在のチームだけでなく、クラブ全体として成長して来たからこそ、現在の強さを手にしています。
転換点は野々村社長就任~地域に愛されるチーム作り
2013年から就任した野々村社長(右)。その年にベトナムの英雄FWレ・コン・ビンを獲得してアジアのメディアを引き付ける斬新なアイデアなど、元Jリーガー社長がクラブを支えている。by コンサドーレ札幌サポーターズブログ
現在の札幌のサイクルがスタートしたのはJ1から降格した2013年シーズンから。現役時代をジェフユナイテッド市原(現・千葉)や札幌で技巧派MFとして鳴らした野々村芳和氏が社長に就任した頃です。
それまでの札幌はJ2を主戦場にしつつ、J1に昇格すればJ1経験豊富なベテラン選手を補強しながら1年であえなく降格するというパターンを3度繰り返してしまいました。
それは日本代表監督を退任した岡田武史氏が指揮を執り、ピッチ上では2000年にJ2得点王となるFWエメルソン選手、J1へ昇格した2001年にはエメルソン選手の代役として獲得したFWウィル選手がJ1で得点王となった華々しい成功体験があったからかもしれません。
しかし、実際にはJ1へ残留できたのはFWウィル選手が得点王となった2001年シーズンのみで、そのウィル選手が横浜Fマリノスへ引き抜かれた翌年にはJ2へ降格しています。
ツギハギのような補強を繰り返したクラブの強化資金は先細りに乏しくなって行き、2013年に野々村社長が就任した頃は年間の人件費が2.5~3億円程で、「底」の状態にありました。
そんな中、野々村社長が就任直後は、結果を問うよりもまず、クラブとしての体力を養うための期間を設け、無理に「J1昇格を目指す急造チーム」よりも、「J1へ定着するためのチーム」作りに着手。
選手構成も他クラブから寄せ集めたような補強に頼るのではなく、下部組織や北海道出身の選手でチームの半数以上を占めるようにし、選手やファンがクラブに対する帰属意識を持つチーム編成をとりました。
また、ベトナムの英雄的存在であるエースFWレ・コン・ビン選手を加入させ、Jリーグにアジアの注目を引き付ける最初のキッカケを作ったのも野々村社長の戦略の1つで、今後は時間が経過すると共にその功績度合いは高くなっていくでしょう。
北海道出身選手を軸にしたチーム作り
下部組織からの生え抜きとしてプレーするMF深井。怪我で戦列を離れたが、「道民の息子」のような彼が攻守の要としてプレーしているのは現在のチームの大きな特徴だ。by SOCCER DIGEST WEB
思い切って育成型のクラブへ舵を切る方針が取れたのは、2011年に高校生年代に当たるU18チームがプレミアリーグイーストで優勝を飾り、翌年にもJユースカップで初優勝するなど、同時期に下部組織が黄金期を迎えていたところにもありました。
当時のU18チームには、現在のトップチームの主力にもなっているMF深井一希選手やFW荒野拓馬選手、MF堀米悠斗選手等が在籍。そして、彼等の世代には、今夏のリオディジャネイロ五輪代表候補だった現・川崎フロンターレのDF奈良竜樹選手や、日本代表MF本田圭佑選手が実質オーナーを務めるオーストリア2部・SVホルンに移籍したFW榊翔太選手もプレーしていました。
もともと日本の中では圧倒的に極寒の地である北海道ならではの「雪上サッカー」により、下半身のしっかりとした球際が強い選手が育つ土壌。そこへ2010年前後に世界全体に広まったバルセロナのパスサッカー志向が日本にも大々的に取り入れられ、もともと技術的に優れていたクラブにはそれが技術への過信にも繋がりかねない中、札幌にはそれが良い配分で交わったトレンドのチカラもありました。
そして、現在はトップチームの指揮官に昇格した四方田修平監督が10年以上も指揮を執っていたため、育成年代で集大成の時期を迎えていたとも考えられます。
監督交代が頻発も、クラブ主導のためにブレないチームの舵取り
育成年代を10年以上率いた四方田監督の昇格人事こそが、現在の札幌のサイクルを完成させるためのラストピースだったのかもしれない。by Jleague.jp
そして札幌はJ2へ降格した2013年、MF深井選手やMF堀米選手を含む6人の下部組織出身選手を昇格させて、新たなサイクルをスタートさせました。野々村新社長体制が就任するにあたり、2013年シーズン開幕時に強化費として充てられた予算は前年の5億円から半額の2億5000万。その後の補強で約3億円程までは強化費に注がれたものの、予算規模はJ2全22チーム中の12番目でした。
少ない予算の中で、監督には札幌の下部組織やトップチームでの指導歴がある初の「OB監督」として財前恵一氏を招聘。下部組織から一貫したスタイルで戦うビジョンを共有する上では適任で、若い選手達の技術や個性を出して主導権を握りながら戦う攻撃志向のチーム作りで8位へと躍進。
札幌と同時にJ2降格を喫したガンバ大阪とヴィッセル神戸が再昇格を果たしたため、J1からの「降格組」としては物足りないものの、予算規模から考えた費用対効果や試合内容、若手の成長度は、育成型クラブへの転換初年度としては十分に評価されるシーズンでした。
費用対効果以上の成果を上げたチームは年々チーム力を積み上げるように予算も微増。野々村社長曰く、「予算を上げていく過程を続けながら、人件費を予算の50%近くにするのが目標」との事で、この数字を追っていくと、今季の快進撃に繋がっている裏付けにも見えます。
野々村社長就任後の札幌の予算とチーム成績の比較
しかし、2014年シーズンは夏場に不振に陥って財前監督を解任。後任には愛媛FCで4シーズンに渡って指揮を執ったイヴィッツァ・バルバリッチ監督が就任したものの、彼もその約1年後に解任。チーム成績も2014、2015シーズン共に10位に終わり、J1昇格プレーオフにさえ進めない苦境。また、バルバリッチ監督は組織的な守備組織の構築で評価される指揮官だったため、結果以上にプロセスを優先させているはずの札幌には「ブレ」が感じられました。
ただ、財前監督の下でパスサッカーの土台を作り上げ、その弱点を突かれた守備の部分を強化するためにバルバリッチ氏を招聘。OB監督から外国籍監督に交代し、全くフラットな視点で守備の緻密さや選手起用を行ったこの1年間は決して無駄ではなく、確実に戦い方に”幅”が生まれました。何よりも、これらの現場の過程を野々村社長を中心としたクラブ全体が主導していた事が大きかったのです。
その上で2015年夏にU18チームから昇格した四方田監督がパズルを埋めるかのように適材適所な選手起用や戦術立案、戦略を選択。それが可能になったのは自らが下部組織で指導した教え子がトップチームに多く在籍し、その上で彼等は育成年代からプレーの幅を拡げていた事。ただし、それをどう活かすか?に伸び悩んでいた中、四方田監督の存在がパズルのラストピースになったと考えられます。
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