2016年シーズンのJリーグも2ndステージ中盤を迎え、佳境に差し掛かっています。そんな中で、まさかの大不振に陥っているのが名古屋グランパスです。
クラブのOBで、現役時代はグランパスの顔でもあった小倉隆史氏を新監督に据え、今シーズンを迎えました。
しかし、1stステージを14位で終えると、2ndステージはここまで一勝もできずに最下位。(8月27日現在)年間総合順位でも、18位のアビスパ福岡、17位の湘南ベルマーレに続く16位と低迷し、降格の危機に瀕しています。
鹿島アントラーズ、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)と並んで、Jリーグ創設当初から参加しJ2への降格経験がない名古屋グランパス。
降格阻止へ向け、小倉監督の休養(事実上の解任)、そして、アシスタントコーチを務めていたボスコ・ジュロヴスキー氏の新監督就任が発表。8月27日に初戦を迎え、FC東京に引き分けました。
ボスコ・ジュロヴスキー氏とはどんな人物なのでしょうか。
新監督に就任したボスコ・ジュロヴスキーby NAGOYA GRAMPUS
セルビアの名門レッドスターで選手、監督を務める
ジュロヴスキー監督は1961年生まれ、マケドニア共和国・テトヴォ出身の54歳です。
1978年に、ユーゴスラビア(現セルビア)の強豪レッドスター・ベオグラードでプロとしてのキャリアをスタートさせると、在籍11年で4度のリーグ優勝に主力として貢献しました。
1989年にスイスのセルヴェットFCへ移籍すると、ここでもリーグ優勝を果たし、ユーゴスラビア代表として4試合、マケドニア代表としても7試合に出場しました。
現役引退後はセルヴェットFCでコーチ、そして、母国ユーゴスラビア、セルビアで監督を経験、2007年に古巣であるレッドスターの監督に就任しました。
当時レッドスターの会長を務めていたのがピクシーことドラガン・ストイコビッチ。ジュロヴスキー監督のレッドスターでの監督生活は短いものとなりましたが、ストイコビッチとは翌年名古屋グランパスで再会を果たすことになります。
2010年にグランパス初のリーグ優勝へ貢献
2008年シーズン、ストイコビッチが名古屋グランパスの新監督に就任。アシスタントコーチとしてチームに招かれたのがジュロヴスキーでした。
当時ストイコビッチ監督は(JリーグのS級ライセンスに相当する)UEFA PROライセンスを取得したばかりで監督初挑戦、コーチ・監督経験豊富のジュロヴスキーがコーチとしてストイコビッチ監督をサポートする体制が取られました。
2008年シーズンはリーグ3位、翌年参戦したACLではベスト4と結果を出し始めると、迎えた2010年シーズン、2位のガンバ大阪に勝ち点差10と圧倒的な強さを見せ、Jリーグ創設18年目にして初のリーグタイトルを獲得。
ストイコビッチ監督を支える”ピクシーの右腕”としてクラブ初の快挙達成に大きく貢献しました。2013年まで6シーズンに渡り務めたアシスタントコーチを退任すると、2014年にはマケドニア代表監督に就任し、キャリアで初めてナショナルチームの監督を務めました。
2008年からストイコビッチ監督の元アシスタントコーチを務めたby Bossa Lary 菩娑羅鯉
闘莉王も電撃復帰!新生グランパスに注目
先日の小倉監督の休養に伴いアシスタントコーチから監督へ昇格したジュロヴスキー新監督。8月26日には、6シーズンに渡りグランパスでプレーした田中マルクス闘莉王選手の復帰も発表され、降格圏内脱出へ向けて巻き返しを図ることになります。
「オリジナル10」としてJリーグに君臨してきた名門クラブは残留を果たせるのか。ジュロヴスキー体制で迎える新生グランパスに注目です。