Shooty

カマタマーレのエース!我那覇和樹のキャリアまとめ

岸豊

2015/09/18 16:35

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

NEWS

我那覇和樹1
by カマタマーレ讃岐

かつて川崎フロンターレのエースFWとして活躍し、日本代表でもゴールを決めた我那覇和樹選手。抜群の決定力を誇るFWとして、彼のキャリアは順風満帆に見えましたが、後に完全な冤罪だったと判明するドーピング事件に巻き込まれるなど、不遇な側面もありました。しかし、我那覇選手はサッカーにひたむきに向き合うことを辞めず、34歳となった今も現役でピッチに立ち続けています。今回は、プロ入りまでから驚きの一面まで、我那覇選手についてまとめます。

Jリーグ入りまでの経歴

我那覇和樹2
by KAWASAKI FRONTALE

我那覇選手は、1980年に沖縄県の那覇市に生まれました。小学生の頃、宇栄原(うえばる)FCでサッカーを始め、小禄(おろく)中学校から沖縄県立宜野湾高等学校へ進学、同校を卒業後、J1の強豪・川崎フロンターレに入団します。

川崎フロンターレと日本代表での活躍

我那覇和樹3
2006年11月15日 アジアカップ予選最終戦のサウジアラビア代表戦では2得点を挙げる活躍by 見トク、知ットク、納得

川崎フロンターレでは、ルーキーイヤーから活躍を見せ、新人王に次ぐタイトルである優秀新人賞を獲得しました。J2に降格した2001年は良い成績を残すことができませんでしたが、2002年途中からレギュラーに定着。翌2003年には、開幕から3戦連続でゴールを奪い、2004年にはJ2の日本人としては最多タイ記録の22得点を挙げ、チーム内でエース・ストライカーとしての地位を確立。我那覇選手の活躍に引っ張られたチームは、J2制覇とJ1昇格を成し遂げました。

そんな我那覇選手が一躍脚光を浴びたのは、2006年でした。開幕戦で自身初のハットトリックを達成すると、その後も得点を量産し、一時は得点ランキングのトップに立ちました。この年は自身初のオールスターへの選出もあり、得点王の獲得は逃したものの、最終的には18得点を挙げる大活躍を見せました。

この活躍に注目したのが、当時の日本代表監督イビチャ・オシムでした。我那覇選手は8月、沖縄出身の選手としては初めて日本代表に選出されます。これに奮起した我那覇選手は、国際親善試合のトリニダード・トバゴ戦を経て、アジアカップのイエメン戦、サウジアラビア戦でゴールを奪うなど、オシム監督の期待に大いに応えました。

ドーピング冤罪事件と移籍

我那覇和樹4
by FOOTBALL WEEKLY

順風満帆に見えた我那覇選手のキャリアでしたが、2007年に暗雲が立ち込めます。4月21日の浦和レッズ戦で同クラブのホーム不敗記録(16戦)を止める得点を奪った2日後、体調不良に伴ってチーム・ドクターから受けた点滴治療がドーピング(当時メディアではにんにく注射と報道されていました)とみなされ、6試合の出場停止処分を受けたのです。これに対して我那覇選手はスポーツ仲裁裁判所に提訴。その結果、2008年には我那覇選手の訴えが全面的に認められ、Jリーグに対して史上最高額となる2万ドルのペナルティを科しました。その後、我那覇選手は2008年の契約満了をもって川崎フロンターレを退団し、ヴィッセル神戸へ移籍します。しかし、怪我の影響で出場機会に恵まれないまま、2010年に同クラブを退団します。その直後、熱烈なオファーを受けて地元沖縄の琉球FCに入団しました。

それから4年。我那覇選手は香川県に本拠地を置くJ2のカマタマーレ讃岐からのオファーを受け、再びJリーグのピッチに立つことを決意します。移籍に際しては自身のブログで、

「今回の移籍に伴いたくさん悩みました。それでも自分と向き合い考えた結果、残されたサッカー人生で悔いのないように、もう一度チャレンジし活躍する事が、沖縄で応援してくれている皆さまの為でもあると信じ決断しました。(中略)沖縄で生まれ育ち慣れ親しんだ土地を離れるのは寂しいけど、人間的にもサッカー選手としても、より成長した姿を見せれるように覚悟をもって頑張りたいと思います」

と本音を吐露していました。我那覇選手の真っ直ぐな性格が伝わってきますね。

サッカー選手でありながら、ピザ店とコラボ!

我那覇和樹5
by SOCCER KING

そんな波乱万丈のサッカー人生を歩んできた我那覇選手には、意外な一面があります。なんと、ピザ店とコラボしているのです! 2014年2月、我那覇選手とコラボしたピザ店「PIZZERIA BAR NAPOLI 沖縄久茂地交差点本店」がオープンしました。同店舗は、全国に13店舗ある本格ピッツェリアバールの沖縄県初上陸となるピザ店で、日本代表戦やサッカー観戦ができるモニターが設置され、サポーターが集まることができる空間になっています。

栄光と挫折を味わいながらも、ひたむきにサッカーに取り組んできた我那覇選手。果たしてカマタマーレ讃岐をJ1へと導くことができるのでしょうか。今後の活躍からも目が離せませんね!

この記事が気に入ったら
「いいね!」しよう