2015年J1の1stシーズン優勝チームであり、日本屈指の人気チームである浦和レッズ。
この浦和レッズサポーターからクラブのレジェンドとして今でも愛されているのが「タリーさん」こと山田暢久氏。
そして山田暢久氏は数々の伝説を残していることでも有名なのです!
プロフィール
by チケットぴあ
山田 暢久(やまだ のぶひさ)氏
1975年9月10日生まれ
静岡県藤枝市出身
現役時所属クラブ:浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグデビュー:1994年
得意なポジションは?
山田氏のプレイヤーとしての最も大きな特徴は、GK以外の全てのポジションをハイレベルでこなすユーティリティプレイヤーであったことです。
1994年にJリーグデビューをした当初はFWとして出場をしていましたが、95年以降は右のサイドバックやウィングバックをメインとして出場をし、右サイド以外にもチーム事情によってトップ下、ボランチ、センターバック、リベロとあらゆるポジションでスタメンを張れるレベルでこなすというすば抜けたサッカーセンスの持ち主でした。
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本人の希望ポジションはトップ下であったのですが、どの監督も右サイドバックなどで山田氏を使うことが多く、さらには2003年に選出された日本代表でも右サイドバックとしての選出であったことに「喜んでいいのか悲しむべきなのかわからなかった」とのこと。
その選手としての能力への評価は常に高く、チームの助っ人外国人から「海外で通用するのは小野より山田」と後にオランダ・フェイエノールトで大活躍をする小野伸二選手より高い評価をされていました。
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山田暢久伝説とは?
そんな天才的とも言える山田氏が残した伝説とはどういったものがあるのでしょう?
伝説①「マッサージを受けない」
プロサッカー選手にとって体のケアは必須。試合はもちろん練習が終わるごとにマッサージを受ける選手もいる中、山田氏は現役当時ほとんどマッサージを受けることがなかったのです。
それなのに肉離れを1回起こした程度で現役を20年も続け、出場試合は540試合も重ねたのです!
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伝説②「脱臼したのに1試合休んだだけで即復帰」
体のケアは大雑把ではあったけれど、怪我には強い山田氏。
Jリーグのある試合でスルーパスに抜け出した山田氏はキーパに倒され大きく転倒。しかしこのプレーがシュミレーションと取られ、イエローカードをもらってしまうのですがそれでも傷んで倒れている山田氏。実際は肩を脱臼しており、全治3週間でした。
しかし、10日ほどで復帰し1試合のみを欠場しただけで早々に戦列に戻ったという伝説があります。
伝説③「真ん中(トップ下)をやりたいと言ったのにスイーパーをやらされ、カズを完封」
山田氏本人はトップ下をやりたいという意味で「真ん中でやりたい」と言ったのに、試合ではディフェンスの真ん中であるスイーパーをやらされるということが!
嫌々なはずなのに対戦相手だったカズこと三浦知良選手を完璧に抑えこみ、「案外難しくなかった」や「カズさん調子悪かったみたい」と言ってのけたようです。
伝説④「大のパチンコ好き」
マッサージを受けたりもしていない山田氏はチームで最も早く練習場を出ることが多かったようですが、この練習場から出て変える方向を見ると家へ帰るのか、パチンコに行くのかがわかったそうです。
そもそも、選択肢にパチンコがあるということが周りにわかられている時点でかなりパチンコが好きなことが伝わってきますね!
伝説⑤「練習に遅刻しそうになったから仮病でズル休み」
入団して3年目頃のまだ若手だった頃。実家へ車で帰省をしていた山田氏が実家のある静岡から練習当日に帰ろうとしていたら練習時間に間に合わなくなり、『風邪を引いた』と仮病を使ってズル休みをしたことがあるのです。
思いついてもなかなか実行できなさそうなこともさらっとやってしまうあたりが山田氏のある意味魅力ですね。
まだまだ数多くの伝説を残している山田氏。現在は浦和レッズのユースチームでサポートコーチを努めており、引退後も浦和レッズに関わっているまさに「ミスターレッズ」の山田氏。
これからどんな後輩を育てられるのか楽しみですね!