まるで映画の予告を見ているかのようなことが眼の前で起こっていた。
2018年12月1日(土)、明治安田生命J1リーグの2018シーズン最終節。兵庫県出身の筆者は高校時代の友人と共に、ヴィッセル神戸のホームであるノエビアスタジアム神戸のバックスタンドに腰を下ろしていた。
もちろんお目当ては、アンドレス・イニエスタ、ルーカス・ポドルスキ・・・、と言いたいところであるが一番は8月以来遠ざかっていたホームでの勝利であった。
古橋亨梧選手のゴールで前半を折返しスマホで他会場の結果を眺めていたハーフタイム。
スタジアムのメインビジョンにオーナーの三木谷浩史氏とカジュアルなスーツを着た外国人が映し出された。会場の誰もが、一瞬「誰だ?」と思ったであろう。
瞬く間に驚きとどよめきがスタジアム中を駆け巡った。その外国人は元スペイン代表にして世界を席巻したストライカー。ダビド・ビジャ本人だったのである。
数日前に同選手がアメリカ1部メジャーリーグサッカーのニューヨーク・シティFCを退団し、Jリーグのクラブへ移籍するという報道を見たが、まあいつもの飛ばし記事だろうし来たとしても神戸以外のどこかだろうと考えていた。まさかこんな形でスペイン代表の歴代最高得点保持者を見れるとは夢にも思わなかった筆者は、感情が良い意味でぐしゃぐしゃになっていた。
ここ2008〜12年にピークを迎えたスペイン代表黄金期を象徴する選手の一人。同クラブでは2017年の元ドイツ代表ルーカス・ポドルスキ、元スペイン代表のアンドレス・イニエスタに続く3人目の世界王者が加入することとなった。
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ようこそダビド ビジャ選手(@Guaje7Villa)!
Welcome to David Villa!
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ニューヨーク・シティFCよりFWダビド ビジャ選手が完全移籍で加入することとなりました!
David #Villa, FW player, to Join #Vissel Kobe from New York City FC on a permanent deal!https://t.co/zDZjNhlNfB#visselkobe pic.twitter.com/jxDW3vRiF7— ヴィッセル神戸 (@vissel_kobe) 2018年12月1日
ラ・ロハ史上最高ストライカーのサッカー人生
ダビド・ビジャは、当時スペイン2部に属するスポルディング・ヒホンでキャリアをスタートさせる。トップチームに定着した2001〜02シーズンは若干20歳にして18得点を記録。翌シーズンも2桁得点を記録し、2003〜04シーズンには1部に所属するレアル・サラゴサへ移籍。同クラブでもヒホン時代から続く勢いはとどまらず在籍した2シーズンで2桁得点を記録。ストライカーとしての確固たる能力を示した。
これらの実績をひっさげ、2005〜06シーズンより強豪バレンシアCFに移籍。加入初年度には25得点と大暴れをし、2006〜07シーズンには元スペイン代表のフェルナンデス・モリエンテス氏が加入しスペインを代表する新旧のストライカーは2人で43得点を記録。UEFAチャンピオンズリーグでもベスト8を記録するなど非常に充実したシーズンを送る。
ちょうどこの時期に当時のスペイン代表監督であったルイス・アラゴネス氏がビジャをスペイン代表へ招集。クラブで大きな怪我もなく好調を維持したことで、FIFAワールドカップ2006ドイツ大会に出場を果たす。本大会では3得点を記録し、現在サガン鳥栖に所属するフェルナンド・トーレスと共に若手ながらもチーム得点王となった。
スペイン代表の黄金時代の幕開けとなったUEFA EURO2008予選から代表に欠かせないストライカーとなる。長らく代表のストライカーを担ったラウル・ゴンサレス氏と世代交代をする形でポジションを奪い、予選ではチーム最多の6得点、本大会では4ゴールを決め得点王となった。
そしてビジャにもスペイン代表にとっても大きな転機となったのが、FIFAワールドカップ2010 南アフリカ大会だ。当時世界を席巻するポゼッションサッカーを誇ったスペイン代表。同国史上初のワールドカップ優勝が期待される中で大会に参戦。緒戦のスイス戦でまさかの敗戦となりながらも、そこからは化け物じみた安定感でグループリーグを突破。あれよあれよと決勝に上り詰め、同じく初優勝を狙ったオランダ代表との死闘を制した。
ビジャはワールドカップと共に、大会通算5得点の結果により同大会の得点王も獲得。セレッソ大阪に在籍したディエゴ・フォルランやヴェスレイ・スナイデル、トーマス・ミュラーと錚々たるメンバーと共に受賞した。
そして同大会終了後、ついにスペインが世界に誇るあのFCバルセロナに移籍。
名将ジョゼップ・グアルディオラが率いる正真正銘の世界最強チームであったバルセロナでも大活躍を見せていたが、2011年12月に開催されたFIFAクラブワールドカップで骨折し長期離脱を余儀なくされる。この怪我により、翌年に控えていたUEFA EURO2012本大会への出場は叶わず。同国の2連覇に立ち会うことはできなかった。
FCバルセロナでの幸せながらも波乱万丈な3シーズンを過ごした後、2013〜14シーズンは強豪アトレティコ・マドリードへ移籍。同チームで活躍したフェルナンド・トーレス、ラダメル・ファルカオが背負った9番を背負い年間13得点を記録。同シーズン終了後、母国スペインから初めて海外に進出。オーストラリアのメルボルン・シティFC、ニューヨーク・シティFCへ在籍。世界のファンを喜ばせ、ついに満を持して日本に参戦することになった。
来季タイトル獲得は至上命題となった神戸
さて、ビジャの経歴を振り返ったところで肝心のヴィッセル神戸に話を戻そう。
ビジャを獲得したことにより来季の攻撃陣は非常に厚みがでた。ルーカス・ポドルスキ、ダビド・ビジャ、アンドレス・イニエスタが最前線のトリオとして活躍してくれることは誰しもが考える部分ではあるが、彼らに何より期待したいのは神戸に“強者の文化”を植え付けることではないだろうか。
かつてJリーグの創世記には各クラブの信念を作り上げた存在がいた。鹿島アントラーズでジーコはリーグ初年度への参戦が危ぶまれていた同クラブの核となり、その後1度も2部降格経験のない常勝軍団としてのベースを作り上げた。
また、ジュビロ磐田が2000年代に代表クラスの選手を多く輩出し、史上初のシーズン完全優勝を成し遂げたのもワールドカップを制したドゥンガの鬼軍曹ともいえるリアルタイムでのサッカー教師があったからであろう。
そして、ドラガン・ストイコビッチは選手としてリーグ史に残る華麗なプレーヤーとして活躍し、監督としても名古屋グランパスエイトを初優勝させる偉業を成し遂げた。
ヴィッセル神戸は言わずもがなクラブ史が示すとおり、中堅クラブとしてようやく定着してきたというところである。現オーナーの三木谷氏がクラブ運営に参戦した2004シーズン以降、定期的に大きな補強をしながらもなかなか結果が出てこなかった。
しかし、ここ数年の補強は以前に比べあまりにもレベルが違うものである。クラブは明確に世界の最前線を行くFCバルセロナのサッカーを目指す姿勢を打ち出し、堅守速攻が特徴だったヴィッセルのサッカーはこの1年で大きく姿を変えた。
ただ、サッカーは11人で敵と戦うスポーツである。素人でもわかるとおり、1人極端にレベルの高い選手がチームに入ったところで劇的に変わるものではない。ここから重要になってくるのは、ポドルスキ、イニエスタ、ビジャをしっかりと活用しチームの総合力を上げることである。いわば今は種まきの時。真に結果が出るのはおそらく5年後、10年後といった長い月日の先なのであろう。
ここまでのスーパースターが揃うことはおそらく二度とないかもしれない。幸福な現在を愉しみながらも、来るべき未来が明るいものになることを期待し来年のヴィッセル神戸にも注目したい。