技術委員長に?J通算勝利数歴代1位の名将・西野朗氏のキャリア

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日本サッカー協会の次期技術委員長に内定している西野朗氏。名将と謳われる西野氏のキャリアをご紹介!

西野朗〜プロフィール〜

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西野朗(にしの・あきら)氏
1955年4月7日生まれ
埼玉県出身
指導歴:U-20日本代表(1991〜1992)→U-23日本代表(1994〜1996)→柏レイソル→ガンバ大阪→ヴィッセル神戸→名古屋グランパス

現役時代は、柏レイソルの前身である日立製作所サッカー部に所属。攻撃的なMFとして活躍しました。
日本代表にも選出され、国際Aマッチ12試合に出場し、1得点を挙げています。

日本中を歓喜に!マイアミの奇跡をもたらした名将

1991年、U-20日本代表の指揮を執り、指導者としての道を歩み出した西野氏。
1994年にアトランタ五輪を目指すU-23日本代表の監督に就任します。同代表は28年ぶりとなるオリンピック出場を果たし、1996年の本大会では予選ステージで強豪ブラジルを相手に勝利。この快挙は‘マイアミの奇跡’と呼称され、日本中に歓喜をもたらしました。

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アジア最優秀監督賞も!就任したクラブを次々と王者へ導いた手腕

1998年、柏レイソルの監督に就任。1999年にはナビスコ杯の優勝に輝きます。これは、クラブおよび西野氏にとって初のタイトルとなりました。
2000年、クラブは惜しくもリーグ優勝を逃すも、西野氏は初のJリーグ最優秀監督に選ばれます。しかし、2001年は一転して、チームの成績不振から監督解任を言い渡されました。

2002年、ガンバ大阪の監督に就任。クラブを黄金期へと導く手腕が披露されます。
就任4年目の2005年、クラブは初のリーグ王者となり、西野氏は2度目のJリーグ最優秀監督賞を受賞。2007年にはナビスコ杯を制しました。

そして、2008年にガンバ大阪はアジアの頂点に立ちます。チームはAFCチャンピオンズリーグを優勝し、西野氏はAFC最優秀監督に選出。また、この年は天皇杯も制したガンバ大阪。Jリーグ発足以降、タイトルとは無縁だったチームは、西野氏の指揮により強豪と表されるようになります。

その後、西野氏はヴィッセル神戸、名古屋グランパスの監督を歴任。Jリーグ監督通算勝利数は、270勝を誇り、歴代1位となっています。

日本サッカーの中枢へ!

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今年8月に行われるリオデジャネイロ五輪への出場が決定しているU-23日本代表。一方で、なでしこジャパンは五輪出場を逃し、フットサル日本代表も4大会ぶりにワールドカップへの出場権を掴むことができませんでした。
また、A代表は2014年のブラジルワールドカップ、2015年のアジアカップを不本意な成績で終え、日本サッカーの弱体化が懸念されています。

‘マイアミの奇跡’のように、世界を震撼させるサッカーを。今後、日本サッカーの中枢で西野氏の手腕が試されます。

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