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5年ぶりの復帰!FC東京新監督 城福監督のキャリアまとめ

k.k

2016/01/27 18:28

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日本の首都・東京に本拠地を置くFC東京。
「首都のチーム」として最近ではJリーグ優勝を期待されていますね!

そんなFC東京に2016年シーズン、5年ぶりに監督復帰を果たした城福監督のキャリアがとても興味深いのです。

富士通サッカー部で指導者キャリアスタート

城福監督の指導者としてのキャリアスタートは1993年。選手としても所属していた富士通サッカー部(現川崎フロンターレ)でコーチに就任します。

その後、1995年に富士通川崎フロンターレクラブの監督に就くなど同クラブで指導者として携わっていましたが、プロ化を表明し、プロ監督を迎え入れるチームの方針により監督業から外れてしまいます。

FC東京・JFAで育成年代に力を注ぐ

サッカー指導者から離れ、富士通の社業に復帰をしていた城福監督に1997年の8月、当時の東京ガスサッカー部(現FC東京)からチームへ参画の勧誘を受け、1998年に富士通を退社。
ここからFC東京と城福監督との関わりが始まります。

FC東京の育成部門に携わりながら、日本サッカー協会(JFA)のナショナルトレセン(ナショナルトレーニングセンター制度)のコーチや各ユース年代の日本代表監督を努めるなど、日本サッカーの育成年代にも携わり、力を注いでいきます。

城福監督1
by Guide Me!

U-17日本代表で12年ぶりのアジア制覇!

城福監督の監督キャリアにおいてハイライトのひとつといえるのが、2006年に行われたAFC U-17選手権。

柿谷選手(現セレッソ大阪)や齋藤学選手(現横浜F・マリノス)、米本選手、水沼選手(共に現FC東京)などを擁し、1994年以来、12年ぶりのアジア制覇を達成!

続く、U-17ワールドカップでは優勝したナイジェリアに敗れるなどで惜しくも1次リーグ敗退となりましたが、この時代の経験が城福監督のスタイルを確立しました。

城福監督2
by SOCCERKING

「ムービングサッカー」を掲げたFC東京時代

アンダー世代の日本代表監督として結果を残し、2008年ついにFC東京のトップチーム監督に就任!
Jリーグ監督としてデビューを果たします。
この時に城福監督の代名詞ともなる、ボールも選手も動き、ボールポゼッションを高める「ムービングサッカー」を掲げます。

「ムービングサッカー」も定着をしてきた就任2年目の2009年に、自身初のJリーグタイトルとなるナビスコカップ優勝と結果も残しました。

城福監督3
by Tokyo Football Association

「プロビンチャ」のヴァンフォーレ甲府時代

2012年からは「プロビンチャ」、いわゆる地方クラブであるヴァンフォーレ甲府の監督に就任した城福監督。
就任1年目にはJ2でチーム初優勝を飾り、2013年、2014年とJ1残留を果たします。

予算が少なく、決まった練習場やクラブハウスのない状況の中で「ムービングサッカー」と日本人選手中心としたチーム編成を組み、ヴァンフォーレ甲府のJ1定着の基礎を築きました。

再びのFC東京でどんなサッカーを見せてくれるのか

そして2016年シーズンからは再び、FC東京を率いる城福監督。
これまでの「ムービングサッカー」に加えて、「アクションフットボール」という新たなテーマを提唱しています。

城福監督4
by LaBOLA

わかりやすい言葉でサッカーを表現してくれる城福監督の見せる新しいサッカー。
どんなプレーを表現してくれるのか楽しみですね!

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