安永聡太郎さん。元Jリーガーで、現在はスペインの3部リーグのコーチに内定。ご存知でしたか?
安永聡太郎選手とはどんな選手だったのでしょうか?
by Scoopnest
サッカー選手としての幕開け
安永聡太郎選手は山口県宇部市の出身。高校は静岡県の清水商業高校に入学し、全国レベルで知られ始めます。
2年生の時に高校選手権、全日本ユースの二冠、3年生の時にインターハイ、全日本ユースの二冠を達成。華々しいサッカー人生を歩み始めました。
高校卒業後1995年には横浜マリノスに入団し、高卒新人ながら28ゲームに出場。その上にこの年マリノスはJリーグ優勝を果たすのです。
サッカー人としては順風満帆の滑り出しを飾るのでした。
スペイン・リーグとの出会い
マリノス入団の年にJリーグ優勝を果たし、恵まれたサッカー人生のスタートを飾るが、その後の2年間は出場機会に恵まれなくなります。
そして1997年のシーズン途中に、安永選手は活躍の場をスペインに求めます。リーガ・エスパニョーラの2部にあたるセグンダ・ディビシオンのUEリェイダにレンタル移籍します。34ゲームに出場し4得点を挙げるなど、初の海外チームで一定の成績を残します。
翌1998年に一旦マリノスに復帰するも、1999年には清水エスパルスへ移籍。その後2001年に再びマリノスに移るのでした。
しかし2002年に再びスペインのセグンダ・ディビシオンにあたるフェロルに移籍。翌2003年には再々度マリノスに移籍。
そして2004年に柏レイソルに移籍して、サッカー人生をこのチームで終えるのでした。マリノスを中心としながら、短期間に移籍を繰り返すという慌しいサッカー人生を送りました。
コーチとしてスペインへ
現役引退後はJFAこころのプロジェクトの専属講師(夢先生)として日本全国の小学校などでサッカー教室を開催しながら、WOWOWで放映されるリーガ・エスパニョーラの試合中継等で解説者を務めていました。
そしてこのほどスペイン3部のギフエロでコーチに就任することが内定しました。3部リーグとはいえ、日本人元Jリーガーとしては初めてヨーロッパの4大リーグで指導者の道を歩むことになったのです。
現役時代に日本人として初めてリーガ・エスパニョーラのチームに所属し活躍した事が、コーチ就任の要因なった事は間違いありません。
プロチームのコーチとはいえ、報酬は極めて僅かとみられており、コーチとして活躍する為のスポンサーを求め奔走中とのことです。
異色の経歴の持ち主である安永聡太郎さん。ヨーロッパ4大リーグでの日本人初の指導者としての活躍に期待です!