フリーキックの名手と聞いて誰を思い浮かべますか?
中村俊輔選手や遠藤保仁選手、小野伸二選手など現役選手にも名手と呼ばれる選手はいますが、Jリーグでフリーキックの名手を挙げるときに必ず名前が出るのが三浦淳宏氏です。
そんな往年のフリーキックの名手、三浦淳宏氏のすごいフリーキックなどをご紹介します!
プロフィール
by NumberWeb
三浦 淳宏(みうら あつひろ)氏
1974年7月24日生まれ
2011年4月引退
現サッカー解説者
現役時所属クラブ:横浜フリューゲルス、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸、横浜FCなど
現役時代の三浦氏はMF、DFとして主に左サイドでプレーをしていました。しかし、GK以外なら全てのポジションをこなすことができるというユーティリティプレイヤーだったことも特徴的な選手でした。
そんな三浦氏のプレーで特徴的だったのはなんといってもフリーキック!
Jリーガーの中でも「ブレ球の元祖」と言われている無回転フリーキックを最も得意としていました。
「ブレ球の元祖」と言われる三浦淳宏氏のフリーキックはどういったもの?
では、「ブレ球の元祖」と言われている三浦淳宏氏のフリーキックを見てみましょう。
こちらは三浦淳宏氏の印象的だったフリーキックを集めた動画です。
ブレ球だけではなくカーブのかかったフリーキックも破壊力抜群ですね!
こちらの動画はブレ球の軌道がよく分かる動画です。
蹴りだしの瞬間からボールが全くの無回転状態である様子やストレートの軌道から急激な変化を起こしている様子がよくわかります。
熱い男らしさを持つ人間性
三浦淳宏氏はその熱い人間性から多くの選手に慕われてきました。その様子がよく分かるエピソードがいくつかあります。
チームの消滅に男泣き
1994年からプロキャリアをスタートさせた三浦淳宏氏が最初に所属したチームがJリーグでこれまで唯一チーム消滅という衝撃を与えた横浜フリューゲルスでした。
この横浜フリューゲルスが天皇杯優勝と同時にチーム消滅が決定となり、男泣きをしました。
J2降格で1番にチーム残留を宣言
2005年に移籍をしたヴィッセル神戸でチームキャプテンを務めるなどチームの柱として活躍を期待されましたが、ケガによりシーズン中盤に離脱。そのままチームはJ2降格となりました。
降格という事態に責任を感じた三浦淳宏氏は主力選手の中で誰よりも早くチーム残留を宣言。翌年にワールドカップを控え、代表の選出に不利にもかかわらずJ2でプレーすることを選びました。
この宣言がチームメイトに多くの影響を与え、ほとんどの主力選手が残留し「1年でJ1復帰」を合言葉にチームがまとまるきっかけとなりました。
プライベートでは元女子サッカー選手の大竹夕魅さんと結婚をしており、まさにサッカーとともに人生を歩んでいる三浦淳宏氏。
「ブレ球の元祖」としてブレ球フリーキックを得意としている本田選手への解説もじっくりと聞いてみたいものです。