酒井宏樹
千葉県柏市出身(出生地は長野県中野市)
1990年4月12日生まれ 28歳
Premier jour 2018/19👍#TeamOM pic.twitter.com/7JBAhKZ7Vu
— Hiroki.Sakai 酒井宏樹 (@hi04ro30ki) 2018年7月24日
2018ロシアW杯。日本代表はベスト16でベルギーに奇跡の逆転負けを喫したものの、その闘う姿勢に感銘を受けた人も少なくないはずだ。
その日本代表の中でも全試合にフル出場し、縁の下の力持ちとして奮闘した選手がいる。
フランス・リーグアンのオリンピック・マルセイユに所属するSB酒井宏樹だ。
今回は彼がどのようなキャリアを形成してきたのかを中心に紹介していきたい。
バックアップから日本屈指のDFへ
彼のプロキャリアはJリーグ柏レイソルから始まった。
2009年にユースから昇格後にブラジルへ留学。
柏に復帰後もしばらくはCBのバックアッパーとしてみなされていたが、転機は2011年J1第7節(東日本大震災による中断期間後の為、開幕から2戦目にあたる)大宮戦。
智将ネルシーニョに見いだされ、前年レギュラーだった小林祐三の移籍に伴い空席となっていた右SBに定着すると、彼は一気にスターダムを駆け上がる。
果敢な攻め上がりと同じ右サイドでプレーするレアンドロ・ドミンゲスとのコンビネーションは見るものを魅了し、高速クロスでチームの得点を演出する姿は大器の予感を漂わせていた。
特に第14節、横浜F・マリノス戦で北嶋秀朗のゴールをアシストしたクロスは酒井を語るうえで欠かせないプレーであり、ご存知の方も多いはずだ。
酒井の活躍もあり、その年の柏はJ1昇格初年度としては史上初のリーグ制覇を成し遂げ、彼自身もJリーグベストイレブン、ベストヤングプレーヤー賞を同時受賞し、日本を代表する選手の仲間入りを果たした。
酒井、世界を実感
初めてのトップレベルでの国際舞台は開催国枠として出場したクラブW杯。
準決勝で南米王者のFCサントスに敗れるものの、酒井自身はコーナーキックから185cmというSBらしからぬ高さを活かした得点を記録し、当時19歳のブラジル代表、ネイマールとも再三1対1で渡り合った。
翌2012年には初めて日本代表に選出され、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦で国際Aマッチ初出場を記録している。
初の海外挑戦へ
サッカー選手として波に乗り始めた酒井は2012年、ドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96への移籍を決断する。これは彼にとって留学時代を除けば初の海外挑戦である。
当時ユルゲン・クロップ(現リヴァプールFC監督)に率いられ、ドイツにおいて栄華を極めていたボルシア・ドルトムントからもオファーがあったが、より試合に出場できる可能性があるチームを選んだ冷静さと堅実さは、実に酒井らしいエピソードといえるだろう。
移籍当初はドイツサッカー特有の激しいフィジカルコンタクトに苦しみ、2年目途中まで思うように出場機会を得られない日々が続いたが、シーズン終盤に定位置を確保しレギュラーとしての地位を確立した。
日本代表としてはコンスタントにメンバーに選出され、怪我がちな内田篤人の代役として出場機会を増やすも、2014ブラジルW杯においては、復帰した内田の牙城を崩すことができず、ピッチに立つことはなかった。
そしてハノーファー移籍後4シーズン、ドイツで揉まれた酒井は更なる進化を求めて活躍の場をフランスへと移すこととなる。
フランスでの成長、4年後への期待
酒井が新天地に選んだのはフランス・リーグアンのオリンピック・マルセイユだった。
近年はライバル、パリサンジェルマンの後塵を拝しているが、フランスのクラブとして唯一CL制覇を成し遂げている名門である。
開幕戦のトゥールーズFC戦で新天地デビューを果たし、コンスタントに出場を重ね、チーム最多のリーグ戦35試合に出場し、移籍1年目のシーズンからレギュラーとしてフル稼働した。
チームメイトからの信頼も厚く、特に同じ右サイドでプレーするフランス代表フロリアン・トヴァンからは仕事仲間として酒井を称えるコメントも多く、良好な関係を築いていることが伺える。
「ヒロキのおかげ」酒井宏樹の存在が好調の要因と明かすマルセイユのトヴァン https://t.co/MnyUD4CS62 pic.twitter.com/mT1Zi0etYy
— Goal Japan (@GoalJP_Official) 2016年12月22日