アスリートは一般社会人よりも圧倒的に速くリタイアする運命にあります。多くのアスリートが30代のうちに現役を引退して第二の人生を選択します。
今年とある元日本代表選手が静かに引退を表明しました。その選手は日本代表最年少出場記録を保持する選手です。しかも聞き慣れないクラブに所属しています。
その人の名前は市川大祐選手。ヴァンラーレ八戸というクラブが市川選手の最終所属クラブです。
by みんなのごはん
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地元清水のエスパルスで育ちプロに
市川選手は1980年生まれの静岡県清水市出身のサッカー選手です。
サッカー王国静岡県の中でもとりわけサッカー熱の高い清水市には、Jリーグのクラブである清水エスパルスがあることでも知られています。市川選手は清水エスパルスのジュニアユースからトップチームに昇格した生え抜き選手です。
高校2年生の秋、清水エスパルス・ユース選手だった市川選手は、天皇杯初戦の福島FC戦に数分間出場を果たします。高校三年生になった翌年の1998年、トップチームの春のキャンプにユースからただ一人召集されます。そしてその年のJリーグ開幕戦、晴天の霹靂な出来事が起こります。
市川選手は1998年3月21日、開幕のコンサドーレ札幌戦にスタメンで出場を果たすのです。日本のトップリーグであるJリーグで、現役高校生がスタメンで出場するという事は多くありません。若くして能力を評価された逸材だったという事の証明です。
第二節の京都パープルサンガ戦もスタメンで起用されます。開幕戦から二節連続でスタメン出場を果たした高校生ディフェンスでしたが、当然ながらまだほとんど無名の存在でした。
by エスパルスインフォ
若手発掘の名手
市川選手がトップチームに召集されて開幕戦からスタメン出場した当時の清水エスパルスの監督の名前は、オズワルド・アルディレス監督。1978年のワールドカップアルゼンチン大会で優勝したアルゼンチン代表の主力メンバーであり、大会最優秀ミッドフィルダーに選出された経験を有するアルゼンチンの英雄的な元サッカー選手です。
選手引退後はイングランドのウェスト・ブロムウィッチや、選手として自らの所属していたトッテナム・ホットスパーの監督を経て、1996年に清水エスパルスの監督に就任していました。
アルディレス監督は若手選手を抜擢する眼力を持っている監督と言えます。市川選手をユースから抜擢して開幕スタメンに起用したのはその顕著な例です。
又、清水エスパルスの後に監督に就任した東京ヴェルディでは、森本貴幸選手(現在川崎フロンターレ所属)を見出しました。森本選手は市川選手よりも遥かに若く、ジュニアユースから飛び級でトップチームに召集されて、中学卒業直前の15歳10ヶ月6日でJリーグにデビューさせています。森本選手の記録は、Jリーグ史上最年少出場記録で、未だに破られていません。
この様に、若手の積極的な起用を決断できる眼力を持った監督であったことが、市川選手が高校生ながらJリーグにデビューできた事に繋がっています。
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