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奇跡の50歳、Jリーグ最年長選手・三浦知良選手は世界最高齢サッカー選手?

扇ガ谷 道房

2017/01/28 22:00

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NEWS

今年のJ2リーグ開幕戦は2月26日。キングカズこと横浜FCの三浦知良選手はちょうどこの日が誕生日。サッカー選手としては奇跡の年齢50歳になります。
もちろんJリーグ最年長者ですが、もしかして世界のプロサッカー選手として現役最高齢選手なのでしょうか?その半生と最高齢選手の真実に迫ります。


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高校を中退してブラジルでプロサッカー選手に

三浦知良選手(以降、カズ選手と記載)はキングカズと呼ばれています。それは日本人プロサッカー選手として、王様と呼ばれるのに相応しい活躍を遂げて来た選手だからです。
Jリーグで華々しい活躍をして、日本代表の中心選手だった事は多くの方に知られている事ですが、キングカズと呼ばれるのは単なる成績だけに留まらないサッカーに対する熱い想いがある選手だからこそだと筆者は考えます。
カズ選手のカズ選手らしい点は、常に海外に目を向けて、果敢に挑戦して来た生き様にあります。何しろ高校1年生で学校を自らの意志で退学して、単身ブラジルに渡ってプロサッカー選手になる選択をしたのですから。1982年の事です。
カズ選手が最初に所属したクラブはCAジュベントス。クラブ創設者がイタリア・セリエAのユヴェントスのファンであった事から名付けられた名前のクラブです。その後浦和レッズで活躍し2007年JリーグMVPとなるポンテ選手もこのクラブの出身者です。カズ選手は残念ながらこのクラブでプロ契約する事はできませんでした。
1984年にはキンゼ・デ・ジャウーというクラブに移籍しますが、ここでもプロになる事はできませんでした。サッカー王国ブラジルでは、無名の日本人高校生がたやすくプロサッカー選手になれる様な環境ではなかったのです。
それでもブラジルで夢を追い続けて、とうとう1986年には名門サントスFCとプロ契約を交わしました。その当時日本ではほとんど報道されませんでしたが、快挙でした。
しかし、流石にブラジルの名門クラブで出場機会を得る事は困難を極め、SEマツバラ、CRB、キンゼ・デ・ジャウー、コリチーバFCと短期間で移籍を繰り返す事になりました。
その間に着実に地力をつけて、結局1990年にはサントスFCに復帰し、スタメンの座を確保し、ブラジルの有名サッカー紙の表紙を飾るまでになったのです。


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ヴェルディ川崎で一躍時の人に

ブラジルでプロになる夢を実現したカズ選手は、Jリーグが発足する予定の日本に帰国し読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)に所属します。
W杯出場が悲願だった日本代表入りして、日本初のW杯出場を目指す事が次なる目標になった事は想像に難くありません。
読売サッカークラブはヴェルディ川崎と名称を変えてプロ化し、Jリーグ開幕の1993年には見事に優勝を遂げます。
カズ選手は日本人最多となる20得点を挙げてクラブの優勝に貢献し、自らもJリーグ初代MVPに輝きます。Jリーグの開幕によって、カズ選手のサッカー選手としての注目度が飛躍的に高まり、その人気は現在まで衰えていないのです。
日本代表としては、釜本邦茂さんの75得点に次ぐ、歴代第2位の55得点を記録しますが、残念ながらW杯出場することは叶いませんでした。


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セリエA初の日本人選手

ブラジルでプロサッカー選手になって日本に凱旋し、Jリーグでも確固たる地位を築いたカズ選手は、現在では当たり前になった海外クラブへの移籍の先鞭をつけました。
Jリーグが開幕して間も無い1994年7月には、イタリア・セリエAのジェノアCFCに1年間のレンタル移籍をします。Jリーグ開幕後にヨーロッパ主要リーグに移籍した初めての選手であり、セリエAに移籍した初の日本人選手になりました。
開幕戦のACミラン戦で負傷退場してしまいますが、暮れのサンプドリア戦で初ゴールを決めます。結局1年間でゴールはこの1点にとどまりましたが、その後中田英寿さん、名波浩さん、柳澤敦さん、森本貴幸選手(現川崎フロンターレ)、中村俊輔選手(現ジュビロ磐田)、そして現在ACミランの本田圭佑選手、インテルの長友佑都選手選手らセリエAに移籍する日本人選手の先がけとなったのです。


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既成概念外の領域にチャレンジ

ジェノアCFCへのレンタルからヴェルディ川崎に復帰後、現在所属している横浜FCまでの22年の間にも、カズ選手は二度海外移籍を果たします。
3度目の海外は、1998年のクロアチアのディナモ・ザグレブ。2年間の移籍契約でしたが、成果を出せずに1年で帰国します。
4度目の海外は、2005年のオーストラリアのシドニーFC。この移籍は短期的でイレギュラーな移籍でした。オーストラリアAリーグの公式戦4試合に限って出場が認められる特別枠選手としての移籍で、かつてJリーグで活躍した元W杯得点王のリトバルスキー監督の要請に応えた暫定移籍だったのです。
しかし、シドニーFCはクラブW杯にオセアニア代表として出場したので、カズ選手は1回戦と5位決定戦にフル出場します。これはクラブW杯日本人初出場記録となりました。
又、2012年にはるFIFAフットサルワールドカップ日本代表に選出されて、ブラジル戦でフットサル日本代表選手として出場を果たします。フットサルというカテゴリー外とはいえ、代表のユニフォームを着るのは2000年以来の事であり、悲願のW杯出場を果たします。
海外ビッグクラブで華々しい活躍を遂げた訳ではないのですが、カズ選手は常に何かにチャレンジをして、既存のJリーガーの枠組みでは捉えきれない行動をしている事が、50歳になろうとしている現在まで現役で活躍できる由縁ではないでしょうか。


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