今年4月14日に発生した熊本地震以後、被災者でありながら先頭に立って復興支援活動を行ってきたロアッソ熊本、巻誠一郎の活躍が話題となっています。元日本代表の巻のこれまでの歩みを紹介します。
by Web Sportiva
アイスホッケーと両立していた子供時代
熊本県出身の巻は幼い頃から様々なスポーツに触れ、小学校1年生からアイスホッケーを始め、小学校5年生からサッカーを始めても高校生まで両立を続けました。そして高校1年生ではアイスホッケーの熊本県代表として国体にも出場。サッカーでは強豪校、大津高校2年生時に全国高校サッカー選手権に出場し、ベスト8進出に貢献。ポジションはFWだったがDFでもプレーし、DFでの評価はJクラブだけでなく、スペインのクラブからもオファーが届くほど高い評価を得ていたそうです。フィジカルの強さはアイスホッケーで鍛えられたのかもしれません。
深井と大学サッカー史上最高の2トップと称される
駒澤大学に進学し、1年生時からスタメンで出場し、4年生時には関東大学サッカーリーグ1部で同大学の初優勝へ導き、2トップを組んだ深井正樹(現・SC相模原)とは大学サッカー史上最高の2トップと称され、2人で得点王を獲得。ユニバーシアード代表にも選出されるほど大学サッカーの顔として活躍しました。そして、2003年にジェフ千葉へ入団すると、イビチャ・オシム監督(当時)の下、献身的で闘志を剥き出しにするプレーで上位進出に貢献し、05年から2年連続のナビスコカップ優勝と市原を強豪チームへと変える急先鋒役を果たしました。
日本代表、最後のメンバーとしてW杯出場
by 画像さん
「利き足は頭」と公言するほどヘディングの強さを活かし、勢いに乗った巻は05年にジーコ監督(当時)が指揮する日本代表へ選出され、同年7月の東アジア選手権で日本代表デビューを果たし、06年ドイツW杯でのメンバー発表ではジーコ監督が読み上げたメンバーリストの最後に名前を告げられ、会場から「お〜」と声が上がった場面は現在も「サプライズ選出」の代表として取り上げられることがあります。ドイツW杯ではグループリーグ最終戦のブラジル代表戦で先発出場し、W杯デビューも果たしました。
海外生活から国内復帰、そして熊本のために・・・
by 朝日新聞
コンスタントに2桁得点を重ねるも10年にチームが若返りを図る方針へ転換し、出場数が激減。同年7月にロシア・プレミアリーグ所属のアムカル・ペルミへ完全移籍。翌年3月には元日本代表監督のフィリップ・トルシエが指揮していた中国スーパーリーグの深?紅鑽球倶楽部に移籍も1年を待たずに退団。11年8月に東京ベルディ(J2)に移籍し、Jリーグ復帰を果たし、14年1月にロアッソ熊本へ完全移籍して地元に戻りました。そして今年4月に襲った熊本地震直後には自身も避難の途中で大渋滞となっていた道路で避難者の誘導を行ったり、SNSを通じて不足物資への呼びかけや配送を率先して行い、復興支援の募金サイトを立ち上げるなど練習や試合が不可能となった状態の中、復興支援活動を精力的に行っていました。
プレー同様の献身的な動きは他のJクラブの選手の心も動かし、サッカー教室を自主的に行うなど被災地にいる子供たちの心のケアへと繋がっていきました。練習も再開され、リーグ戦にも復帰した熊本と巻のこれからに目から離せません。