2014年の3冠王者であるガンバ大阪。このガンバ大阪の10番を背負う二川孝広選手をご存知ですか?
大阪と聞くと「陽気」や「よくしゃべる」といったイメージがありますが、二川選手はそんなイメージを覆す、無口な男として有名なのです。
そんな二川選手のオモシロ伝説や経歴をご紹介します!
プロフィール
by GAMBA OSAKA OFFICIAL WEB SITE
二川 孝広(ふたがわ たかひろ)選手
1980年6月27日生まれ
大阪府高槻市出身
ガンバ大阪所属
MF
クラブ生え抜きのゲームメーカー
1999年からガンバ大阪一筋の二川選手。実はユースからの生え抜き選手でもあります。
ユース時代からの同期にはShootyでも取り上げたことのある大黒選手がいます。
衰えぬゴールへの嗅覚。日本屈指の点取り屋、J2京都・FW大黒将志
小中学生の頃は大阪の強豪クラブ「高槻FC」に所属し、中学3年時にはクラブユース選手権関西大会でJリーグのユースチームを抑えて優勝。自身もMVPを獲得するなど活躍をします。
1996年に「サッカー強豪校からの誘いがなかった」という理由でガンバ大阪ユースのセレクションを受け、見事合格。
セレクション当時、サッカーの実力で落とされる気はなかったけれど面接があったら絶対に落ちると思っていたのだそうです。
ガンバ大阪ユースでは高校3年時にキャプテンを務め、クラブユース選手権優勝、高円宮杯準優勝と結果を残しました。
またユースでキャプテンに任命をされたのも監督から「少しでもしゃべれるようにしよう」という理由からだったようで当時から周りが気遣うほどの無口さを発揮していたのですね!
プレースタイルは?
by MA-SATELLITE
そんな二川選手のプレースタイルの特徴は日本トップクラスとも言えるパスセンスを活かしたパスと確かなテクニックに裏付けられたボールタッチです。
そのテクニックの高さからバルセロナのイニエスタ選手にも例えられ、「イニエフタ」というニックネームもあります。
二川選手の無口オモシロ伝説
そんな二川選手の無口さから生まれた伝説がいくつもあります。
伝説① 普通にしゃべって感動を生む?!
2006年に日本代表へ初選出され、海外遠征からの帰国報告で球団社長へあいさつに訪れた二川選手。
そのあいさつで普通に話しただけで社長から「普通にしゃべった!」と感激されてしまいました。
伝説② ラジオ出演で放送事故?
ラジオに大黒選手と出演をした際、あまりの無口さに放送事故のような場面を何度も起こした二川選手。その都度パーソナリティを慌てさせました。番組最後に感想を求められると「ゲームコーナーは盛り上がりました」と、頑張ったパーソナリティの立場がなくなるような感想でパーソナリティを無口にしてしまったのです。
伝説③ 無口だけど沈黙はきらい
インタビューなども苦手な二川選手。聞かれることにも最小限の受け答えが多いようですが、沈黙になるのは苦手なのです。『じゃあ、ちょっとでもしゃべろうよ!』とも思いますが、それでも無口を貫くのが二川選手の素晴らしさなのです。
「無口」ということをここまでクローズアップされる珍しいサッカー選手w
ベテランとしてこれからもガンバ大阪を引っ張り、多くの「無口伝説」を生み出してほしいです。