Jリーグでのプレーや監督経験があり日本人ファンも根強くいるストイコビッチ氏。
そんな彼が新たに監督として就任した中国のサッカーチーム、広州富力について今回ご紹介します。
by GAMBA OSAKA
ストイコビッチ氏のプロフィール
まずはストイコビッチ氏について簡単にご紹介したいと思います。
本名:ドラガン・ストイコビッチ
愛称:ピクシー
出身:セルビア(旧ユーゴスラヴィア)
経歴:【選手時代】FKラドニツキ・ニシュ→レッドスター→マルセイユ→エラス・ヴェローナ→マルセイユ→名古屋グランパスエイト
【監督時代】名古屋グランパス→広州富力
1983年に母国セルビアのサッカーチーム、FKラドニツキ・ニシュでキャリアをスタートさせたストイコビッチ氏。
フランスの名門マルセイユ在籍時代の1993年にはUEFAチャンピオンズリーグ1992-93で見事優勝を果たすなどヨーロッパで輝かしい選手生活を送った後、1994年に名古屋グランパスエイトに電撃入団し、その華麗なプレーでJリーグ黎明期を盛り上げ、多くの観衆を虜にしましたが2001年に惜しまれつつも現役生活を退きました。
現役引退後はユーゴスラビア協会会長やレッドスター・ベオグラードの会長に就任し、その後2008年から2013年まで名古屋グランパスエイトの監督を務めた後、2015年8月に中国の広州富力監督に就任しました。
川崎フロンターレのエース、レナトを強奪!?
広州富力は2015年7月に、それまで4年間Jリーグ川崎フロンターレでプレーしていたFWレナトを獲得しました。
移籍発表直前の試合ではFKを決めるなどの活躍をしていた選手であっただけに正に“青天の霹靂”とも言える出来事はJリーグ界に衝撃を与えました。
by SOCCER KING
名古屋グランパスエイトの喜熨斗コーチも引き抜いた!?
広州富力は2015年8月には、ストイコビッチ氏とともに名古屋グランパスエイトを支えた喜熨斗勝史コーチも引き抜くなど、Jリーグにゆかりのある人物をチームの体制に組み込みました。
今後名古屋のスタイルが反映されていくのかどうか楽しみなところですね。
その他所属有名選手
Jリーグにゆかりのあるレナト選手以外にはどのような選手がいるのかご紹介します。
張賢秀(チャン・ヒョンス)選手
by Wikipedia
DFを務める張賢秀選手は韓国代表選手でもあり、2013年までJリーグFC東京でもプレーしていました。
日本とのゆかりのある広州富力
今までご紹介してきましたが、広州富力の選手や監督・コーチ陣に過去日本での経験がある人も多く、何だか縁を感じずにはいられない広州富力。
今後の動きにも注目していきたいですね!