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海外プロリーグへ挑戦し続ける男・菊池康平さんインタビュー 後編

編集部

2015/10/11 21:00

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– プロ契約を勝ち取った後も、本来のFWではなくCBでプレイしていたんですか?

そうですね。たまに「昔FWやっていたからやらせて欲しい」とお願いしたりもしたんですが、監督から「ダメだ。お前はCBだ」と言われ、ダメでした笑。

– ボリビアでのプロ生活はいかがでしたか?

私がいたのはサンタクルス州だったんですが、ボリビアは全国リーグというリーグがJ1のように一番上にあって、私がいたのはその下の州1部でした。結構強いチームで全国リーグへの昇格をかけた入れ替え戦まで行ったんですが、結局負けてしまいました。そこで全国リーグに行けてたらまた人生がちょっと変わっていたかもしれませんね。

全国リーグで良い成績を収めていたら、南米クラブ王者を決めるコパ・リベルタドーレスに出場できたりしたかもしれません。全国リーグになると、給料も10倍とか100倍になるので、本当に生活が一変する感じです。惜しかったのが、本当に入れ替え戦でも勝てるくらい強かったんですが、オーナーが最後の最後に監督をクビにしたんです。あとでその理由を聞いたら、何か昔から気に入らなかったとかよく分からない理由だったんです。で、チームのことを全然理解していない新しい監督に代わって、結果的にそんなに強くないチームに負けてしまった。前の監督が言っていたんですが、「俺は料理で例えるなら、スープから肉、ご飯まで全部お膳立てした。あとは食べるだけだったのに」。それくらいチャンスだったんです。

ボリビア:新聞掲載(監督交代)
突然の監督交代はニュースにもなった

そのクビになった監督に気に入られていたので、監督が行く次のチームに自分も行くことになりました。そこでは、練習にはずっと参加していたんですが、最終的にはオーナー自ら連れてきたパラグアイの選手と契約することになり、政治やお金も絡んでいたと思うんですが。契約するかしないか曖昧な状況でもありましたし、パソナとの約束の期限の1年が近づいてもいたので、最後の最後、元横浜マリノスの10番だったバルディビエソが監督を務め、リベルタドーレスとかにも出場していた当時No.1のチームに挑戦しようと思いました。そこでプレーできたら人生が変わると思い、有名なチームでよくメディアにも取り上げられていたこともあり、どこのホテルに泊まっているか分かったので、待ち伏せしていました。そうしたら案の定選手やバルディビエソ監督が来たので話しかけたら、「よかったらおいでよ」と言われました。

チームの本拠地は、そこから飛行機で行かないといけないくらい遠い場所だったので、多分来るわけないと思って言ったんだと思うんですね。でも、住所をもらって3日後くらいには現地に行きました。そしたら「本当に来たんだね」と驚かれ、「しょうがないから、参加しろ」と言われて、最初は2軍に入れられました。ただ、結構プレイが出来たので、1軍に上げてもらって、そのあと1軍で2週間くらいやったんですが、もう日本に帰らなくてはいけないタイミングが来ました。でも、正直プレーはできるけど、契約は難しいと感じました。練習は全然ついていけたんですが、契約していたのは元アルゼンチン代表とかだったので、そういう選手を切ってまで自分と契約するとまでは思えなかった。それでタイムリミットだったので、打ち切って帰ることにしました。

バルディビエソと
元横浜マリノスの10番・バルディビエソと

リベルタドーレスに出るようなボリビアのトップオブトップでそこそこついていくことができて、自信にはなったんですが、まぁ結果が全てですね。もちろん、そこでしばらく練習を積んでから他のチームに行くという選択肢もあったとは思います。ただ、とてつもない葛藤は当然あったんですが、1年間本当に色々なことがあって、自分の中でやり切ったという思いもあったので、約束通り復職するということにしました。

– 色々な国で挑戦をしてきて、国によってご自身のプレイスタイルが合う・合わないというのはありましたか?

シンガポール、カンボジア、タイなどは合うと思いました。足元の技術はあっても、身長やフィジカルの強さがそれほどなかったので、自分の強みが活かせたと思います。一方、オーストラリアはみんな大きかったので一番しんどかったです。これまでは自分がFWでポストプレイをして相棒の小さいFWが裏に抜けるところにボールを出すようなプレイをしていたのが、逆になって今度は自分が裏に抜ける役割を果たす必要が出てきたんです。周りの方が強かったので、自分の身長の高さを活かすとか体を使ってキープするというプレイをすることが難しかったです。

カンボジア:クラウンへ練習参加
カンボジアにて練習参加。アジアでは体格を活かすことができた

ボリビアは身長もフィジカルの強さもそれほどなかったので、自分の良さを活かせた部分はありますね。同じようなタイプの選手は少なかったですね。逆にボリビアの前にいたパラグアイはみんな大きく強かったので、しんどかったです。隣国でなんでそんなに違うのかちょっと理由は分かりませんが。少し行ったフィジーもラグビー文化からなのかみんなでかくて強かったので、こういうところは横浜F・マリノスの齋藤学選手のようなスピードがあってドリブルでどんどん勝負する選手が活きると思います。

– プライベート的な話にも切り込ませてください。これだけひっきりなしに海外挑戦していると彼女とのトラブルとかはなかったんですか?

うーん、あまりないですが、ボリビアから帰った後にお付き合いした彼女がいて、その彼女とは2-3年付き合っていて、そろそろ結婚という話も出ていました。ただ、自分としてはもう一度挑戦したいので待っていて欲しいという話をしたものの、それは受け入れられず結局ダメになってしまいましたね。

– 今、パソナでどんなお仕事をされていますか?

週2回ほど営業を担当しています。
それと共に5月からパソナスポーツメイトの仕事を担当しています。スポーツメイトでは、現役アスリートに派遣の事務の仕事などを紹介させて頂いたり、競技との両立の相談などを受けています。例えば女子サッカーですと、日中にアルバイトをして、19時頃から練習に励む選手が多いと思いますが、日中のアルバイトの部分をパソコンを使った事務のお仕事やアスリートならではのフットワークの良さなどを活かして営業の仕事をするなど、選手を辞めた後のセカンドキャリアに活かせるような仕事をマッチングするお手伝いができればと動いています。

あとは、学校とかでの講演活動や、雑誌やWEB媒体でのライター業ですかね。
まだライターと胸を張っていえる様な分際じゃないですが笑。頑張っていきます!

ユメセン2015
JFAの夢先生の活動にも参加させて頂いている

– 今後は年齢的な部分もあり、なかなかみんなが三浦知良選手みたいに長いキャリアを歩むのは難しいと思いますが、どういう仕事やサッカーに対するプランを描いていますか?

直近のやりたいことととしては、書くことでも話すことでもいいんですが、自分の失敗多き経験を特に子供達へ伝えたい。雑誌にあるヒューマンストーリーが昔から好きで、海外で挑戦する選手の記事とかを見て自分も勇気をもらっていたんです。

海外で頑張ってプレーしているのにあまり知られていない選手にスポットライトを当てていけるような活動や、これだけ色々な国へ飛び込んだので海外挑戦をこれからする方へアドバイスできることがあればさせて頂きたいとも思っています。

そしてあとは、一応今のところ選手としては最後インドで入院したところで終わっているので、終わり方として夢がない笑。短い大会に参加するとか、1ヶ月だけでもいいので、自分の強みが活きる国のリーグに挑戦し、観客がたくさん入った試合でプレイをするという目標をなんとか成し遂げたいと考えています。そして、その挑戦をまた自ら伝えていければ最高だなと考えています。

– 最後に、菊池さんにとってサッカーとはどういう存在でしょうか?

難しいですね…。サッカーは、なくてはならないものということでしょうか。今の友達もサッカーを通じて出会った人ばかり。この1週間出会った人を思い返しても、サッカー関連での出会いが95%。

ボリビア、パラグアイ、ラオスをはじめこれまで挑戦してきた多くの国とも、サッカーをやっていなければ一生縁がなかったと思います。中学2年生のときに1か月ほど学校に行かなかったときもサッカーをやりたいと思ったから、また学校に行けましたし、嬉しいことも辛いこともサッカーを通じて多くの経験をしてきました。まさに、人生そのものですね。

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サッカーを軸にこれからも挑戦をし続ける

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