リオ五輪準々決勝・韓国戦で決勝点を挙げたFWエリス。持って生まれた才能にピント監督の植え付けた組織的なプレーも兼備。今大会を機にブレイク必至のタレントだ。by 世界の憂鬱
リオディジャネイロ五輪のサッカー競技は8月13日に準々決勝の4試合を終了。開催国のブラジル、国内リーグが選手派遣に協力態勢をとったドイツという戦力が整っていた2カ国が順当に準決勝に勝ち残っています。
ただ、彼等と準決勝を戦う2カ国には、資金難の問題で初戦当日の現地入りとなったものの、ブラジル滞在4日目にして2連勝と全参加国中唯一のグループリーグ首位通過を決めたナイジェリアが勝ち残りました。
そして、フル代表のエースFWソン・フンミンを招集するなど、ブラジル・ドイツに次ぐ戦力を揃えていたと考えられる韓国の猛攻に耐えたホンジュラスもベスト4に進出しています。
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日本と似た成長過程を持つホンジュラス
ホンジュラスとは地理的にはアメリカとメキシコのある北アメリカ大陸と、ブラジルやアルゼンチンのある南アメリカ大陸をつないでいる部分にあり、グアテマラやエルサルバドルと隣接する国土を有しています。珈琲愛好家の筆者からすれば、コスタリカも含めて「この地域の珈琲豆は絶品だ」、と豪語させていたたきたい国です。抽出されるコーヒーの色は赤く、苦味やエグ味という珈琲嫌いの方が敬遠される味ではなく、豆本来の甘さが感じられる上品な一杯が味わえますので是非ともご賞味ください。おそらく、グアテマラならスターバックス・コーヒーでも飲めます。(絶品はコスタリカだと思いますが)
話が反れましたが、そんなホンジュラスのサッカー代表チームは、2012年のロンドン五輪で日本と同じグループで戦っています。共にグループリーグ突破濃厚だった最終節で大幅な先発メンバーの変更があった中、スコアレスドローを演じた相手です。ちなみに日本と同じく強豪・スペインを破った国でもあります。日本がベスト4の快挙を達成する裏で、ホンジュラスもブラジル相手に前半早々に退場者を出しながら2度もリードしての2-3の惜敗によるベスト8。両国ともに素晴らしい結果を残した大会でした。
W杯出場3大会で未だ勝利がないホンジュラスは、W杯参加国が24ヶ国だった1994年のアメリカ大会から32ヶ国参加になった1998年のフランス大会以降に3度のW杯出場を果たしています。
それまで中南米からはメキシコとアメリカの2大強国しか出場が果たせないような中、参加国拡大に恩地を受け、フランス大会以降の5大会中3大会に出場しています。五輪や下部年代の世界大会での躍進もあり、今後はW杯常連国になっていきそうな気配もあります。
フランス大会以降5大会連続出場の日本からすれば、この進化の過程は如実に理解できるでしょう。
ホンジュラスサッカーの神髄~個人技に長けたFWに託す土壌
そんなホンジュラスのサッカーの印象としてはファウルが多いイメージがあります。ブラジルW杯でも初戦の前半から退場者を出してしまったぐらいです。
サッカーの特徴としては代表チームはもちろん、国内リーグのクラブの多くもオーソドックスな4-4-2のシステムが伝統。その背景にあるのは強靭なフィジカルを持つFWが台頭してくること。ボールを奪えば、とにかく2トップへどんどんボールを集めるという縦へ速いダイレクトな攻撃を志向するサッカーです。
半ば「FW任せ」のサッカーではありますが、そのぶんFWの選手には決定的な”個”が求められる事から、大型FWでもフィジカルの強さや高さだけでなく、スピードや突破力を兼ね合わせるFWが自然と育つ土壌があります。Jリーグでプレーする選手では、ガンバ大阪に所属するブラジル人FWパトリック選手のイメージです。ダーティなプレーも辞さないホンジュラスサッカーで育つわけですから、代表選出されたFWはかなりの逸材。チームよりも選手個人を見る事が楽しいのがホンジュラスサッカーです。
ただ、ブラジルW杯直後に日本で行われた親善試合で6-0と大敗した事もあり、ホンジュラスサッカー協会は兼ねてから交渉を進めていたホルヘ・ルイス・ピント監督が就任。ブラジルW杯で小国コスタリカを率い、イタリア、イングランド、ウルグアイと同居した「死の組」を首位通過した上でベスト8まで躍進させた知将です。
そのピント監督がこのリオ五輪代表チームも兼任している事で、ホンジュラス本来の本能的な部分とピント監督が植え付けた組織的なプレーが上手い配分で組み合わさったチームが今大会でベスト4に躍進しているのです。
カリアリのレジェンドとなった国民的英雄FWダビド・スアソの存在
ホンジュラスのFWとして最高の成功例は、長年に渡ってカリアリやインテル・ミラノといったイタリアのリーグで活躍したFWダビド・スアソ選手。爆発的なスピードと突破力にフィジカル的な強さを持った全盛期、特にカリアリでは地方クラブながら2005-2006の1シーズンでのクラブ歴代最多得点となる22ゴールを挙げた事もあるほどです。この実績を買われて、(現在とは違って?)欧州でも指折りのビッグクラブであったインテル・ミラノに加入する事になった選手です。
イタリアへ移籍した当初はすぐにイタリアのサッカーに適応できず、DFをやらされていた時期もありましたが、8年間在籍する事になるカリアリではリーグ戦通算255試合出場で94ゴール。誰もがレジェンドと呼ぶ実績を築いた偉大なストライカーで、インテルでもバックアッパーながらリーグ優勝に貢献したホンジュラス史上最高の選手です。
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