大混戦のJ2、2015年シーズンで2位になり、3年振りのJ1復帰を果たしたジュビロ磐田。リーグ優勝3度、ナビスコカップ優勝2度など
かつての強豪復活を託されたのが名波浩監督の熱い気持ちと冷静な頭脳による手腕でした。日本代表の10番を背負い、ジュビロ磐田でも活躍した名波浩監督のキャリアを紹介します。
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サッカー王国静岡出身のスター選手 〜プロフィール〜
名波 浩(ななみ ひろし)監督
1972年11月28日生まれ
静岡県出身
現役時代の歴代所属クラブ:清水商業高校(現・静岡市立清水桜が丘高校)→順天堂大学→ジュビロ磐田→ヴェネツィア→ジュビロ磐田→セレッソ大阪→東京ヴェルディ1969(2008年シーズン現役引退)
指導歴:ジュビロ磐田アドバイザー、解説者→ジュビロ磐田監督(2014年9月25日〜)
“日本のサッカー王国”静岡県の中山雅史選手(アスルクラロ沼津/JFL)と同郷の藤枝市出身。清水商業高校では高校サッカーのスター選手でした。順天堂大学時代も花形選手として活躍。92年バルセロナ五輪の日本代表選手としてアジア予選にも出場しています。
伝説の“N-BOX”でジュビロ磐田黄金時代を牽引
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1995年にジュビロ磐田へ入団。1年目の3月18日ジェフ千葉(当時、ジェフユナイテッド市原)戦でデビューするとリーグ戦51試合出場と即戦力で中盤をコントロール。同年には日本代表にも選出され、代表デビュー戦で初得点を決める大物の片鱗を見せていました。
97年に悲願のリーグ初優勝を果たし、強豪チームへと成長すると磐田黄金のパスワークの源“N-BOX”という名波監督を中心としたシステムが誕生。これはFIFAクラブ世界選手権出場を決めていた磐田がレアル・マドリードとの対戦を想定して考案されたシステムと言われていました。
日本代表の10番としてW杯出場
日本代表では加茂周監督(当時)の抜擢でボランチとしてゲームをコントロールする役割を担い、日本代表の10番を着けるようになりました。98年フランスW杯にも出場し、2000年のアジア杯レバノン大会では圧倒的な力の差を見せつけてアジア王者となり、大会MVPも受賞しました。
強豪復活を託されて監督就任
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99年にセリエAのヴェネツィア(イタリア)で海外経験を積み、2002年には磐田の前後期完全優勝を果たし、黄金時代の頂点に立った名波監督ですがチームの若返りもあり06年頃から出場機会が減り、06年途中でセレッソ大阪へ期限付き移籍。翌07年には東京ヴェルディ1969でプレーし、08年に磐田へ復帰するも引退を表明しました。
09年にジュビロのコーチ要請の打診があったものの断りを入れて、引退後はジュビロ磐田アドバイザー、解説者で活躍。そしてJ2に降格していたジュビロ磐田のJ1復帰を託されて14年9月25日に監督就任を決断。多くのジュビロOBから「ジュビロ復活を頼んだ」と言われるほどの大きな期待を背負っての監督就任だったそうです。そして監督2年目に2位でJ1復帰へと導きました。
名波監督のJ1で指揮する姿が見られる2016年シーズンが楽しみです。
SOURCE : Wikipedia | Jubilo Iwata