サッカー選手は30歳前後を境に、肉体的な壁=限界にぶつかると言われています。その傾向は特に、負担の大きいディフェンダーに多く見られます。しかし、ディフェンダーの中には、30歳、あるいは40歳を超えても、若い選手とのぶつかり合いに負けない、超人と言うべき選手がいます。現在、J1で13位に付けているヴァンフォーレ甲府の土屋征夫選手もそのひとりです。
プロ入りまで
by ゲキサカ
幼少の頃の土屋選手は、小学校2年から中学まで三菱養和SCに所属していましたが、中学3年生のときに転校して、一時期サッカーから離れていたそうです。三菱養和SCでの同期には、元プロサッカー選手で現在は指導者として活動されている加賀見健介さん、黄川田賢司さんがいました。東京都立田無工業高等学校に入学すると、サッカー部に入部しましたが、上下関係の厳しさに耐えることができず、同級生と共に1週間で退部して、なんと卒業までは書道部に所属していたそうです。
しかし高校卒業後には、ブラジルへサッカー留学をします。そんな土屋選手に注目したのが、当時のヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)でした。練習に誘われた土屋選手は、そのまま1997年にプロ契約を交わします。この頃に付けられたニックネームが、「バウル」でした。ちなみに「バウル」とは、ブラジル時代に土屋選手が住んでいた、サンパウロ州中西部に位置する街の名前です。
バウルの街並みby Wikipedia
Jリーグでの活躍
1999年にはヴィッセル神戸へ移籍し、それまで務めていたサイドバックからセンターバックへとコンバートされ、それまで以上の活躍を見せるようになりました。この神戸時代から、髪型をスキンヘッドにしており、今に至るまでのトレードマークになっています。6年にわたってスタメンを張り、当時の代表候補にも選ばれるなど、土屋選手の神戸時代は輝かしいものでした。
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移籍と怪我
その後の土屋選手は、2005年に柏レイソル、2006年には大宮アルディージャ、2007年から2012年までは古巣の東京ヴェルディに移籍しました。そして、2013年からは現所属のヴァンフォーレ甲府へ移籍しますが、2014年1月に右膝半月板損傷、同5月には左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負ってしまいます。土屋選手の年齢から言えば極めて深刻な負傷でしたが、今年4月22日に行われたナビスコカップの新潟戦で、2013年12月7日のJ1最終節以来ピッチに復帰すると同時に、ナビスコカップの最年長出場記録(40歳)を更新しました。
現在Jリーグの最年長選手は、土屋選手と同じくブラジルへ渡った過去を持つJ2横浜FCのング・カズこと三浦知良選手(48)です。土屋選手は、三浦選手に追いつけるのでしょうか? これからも、J1最年長選手として頑張って欲しいですね!