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Jリーグ ピッチを去った男たちの様々な足跡

佐藤文孝

2019/01/17 08:00

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昨シーズン、J3ギラヴァンツ北九州で現役を終えた山岸範広。

長らく在籍した浦和レッズでは年間フルタイム出場を果たすなど、名門のゴールマウスを守り続けた。
さらにモンテディオ山形時代には「山の神」としても知られることに。山形時代のハイライトの一つでもある2014年のJ1昇格プレーオフ準決勝ジュビロ磐田戦、後半アディショナルタイム。セットプレーからヘディングでのゴールを決め勝利の立役者となる。決勝のジェフ千葉戦でも無失点で勝利に貢献、山形のJ1返り咲きに大きすぎる存在感を示す。
 
また翌年、トップカテゴリーにおいて苦戦が続く中、ピンチには必ずと言えるほど激しく味方を鼓舞する山岸の姿がみられた。
浦和時代から叩き込まれた「勝者のメンタリティ」は窮地に立たされた時こそ発揮され、チームを支え続けた。

かつては日の丸も背負い、五輪の舞台では背番号10を背負った男・梶山陽平。

 後の日本サッカーの中心となった「北京世代」の一人、だが自身は怪我に泣いた。
FC東京や大分トリニータ、海外クラブも経験。チームメイトや同世代からの評価が高く常にその存在は若くして一目を置かれていた。中盤から繰り出されるパスにはあらゆるメッセージが込められ、周囲から「俺らの10番」と呼ばれた男はボールの供給源として君臨する。
 
 2018年夏、J2アルビレックス新潟へ期限付き移籍。J1復帰はおろかJ3降格がちらつく程の苦境にいたクラブ・サポーターはベテランのテクニシャンを浮上の切り札として迎え入れる。怪我により僅かの出場に止まったものの、ピッチ上で披露されたその技術は別次元のものだった。さらに満身創痍ながら努力を怠らないその姿勢は新潟のベクトルを前に向かせる大きな要因となった。

先日引退を発表したのはロアッソ熊本の巻誠一郎。

イビチャ・オシムの陶酔を受け、長身FWとしてジェフ市原ではカップ戦の優勝、2006ワールドカップ日本代表にも選出され「本気のカナリヤ軍団」とも相対した。その後はロシアや中国のクラブも渡り歩き、2014年からは故郷の熊本県に舞い戻る。2016年の熊本地震の際にはクラブと共に支援活動に尽力した。
 
「サプライズ」として選出されたドイツW杯、現地での直前練習の際、中田英寿からサイドへと開く動きを要求されるも
ヘディングを得意とするセンターフォワードは言った。「僕は中(ゴール前)で勝負したいんです」。

気は優しくて力持ち、そして自分の武器にも絶対の自信を誇ったプレーヤーがピッチを去る。

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