アジアのサッカークラブの頂点を目指すアジアチャンピオンズリーグ(ACL)もいよいよ佳境を迎えています。
9月11、12、13日は各地で準々決勝の2nd Legが行われました。
ノックアウトステージに勝ち残っていたのは中東勢4クラブ、アジア勢4クラブの合計8クラブ。
アジア勢4クラブは奇しくも中国と日本が双方2クラブずつで、しかも準々決勝は同国どうしの対決となりました。
中国2クラブは、2013年&2015年アジアチャンピオンの広州広大と上海上港。そして日本の2クラブは川崎フロンターレと浦和レッズの2クラブ。
9月13日に埼玉スタジアム2002で行われた日本勢どうしの対決は、劇的な幕切れで浦和レッズが制しました。
浦和レッズは1st Legをアウエイで1対3で敗れており、ホームとは言え完全に川崎フロンターレが有利な状況でした。
劣勢を跳ね返して4対1で勝利し、2ゲームトータル5対4で準決勝に進出した浦和レッズの闘い振りを考察してみましょう。
by the-afc.com
浦和レッズのグループステージ総括
浦和レッズはグループステージでグループFに属し、上海上港、FCソウル、ウエスタン・シドニー・ワンダラーズ(WSW)とホーム&アウエイで闘い4勝2敗勝ち点12でグループを首位で通過しました。
勝ち点は12は上海上港と同点でしたが、得失点差で上海上港を5点上回り首位の座を得たという結果でした。
このグループでは、上海上港がステージ突破する事と、WSWの敗退が当初から予想されており、浦和レッズとFCソウルのどちらが二位以内を確保できるかが焦点でした。
結果は浦和レッズが首位を確保し、上海上港が二位でステージ突破を確保するという、想定以上の成果を収めてノックアウトステージに進出しました。
上海上港は、ブラジル代表で今期チェルシーから移籍したオスカル、同じくブラジル代表で元Jリーガーのフッキ、広州広大で2年連続中国スーパーリーグ得点王になったエウケソンという、ブラジル人トリオを擁する、超攻撃的なチームとして知られています。
何せオスカルの移籍金が86億円、フッキの移籍金が68億円と言われている事が象徴する様に、潤沢な資金を背景に急成長している中国クラブの一つですが、単にブラジル人トリオの攻撃力に依存しているのみではなく、中国人選手の質も高く、しっかりビルドアップする能力の高さがあります。
3月に上海で行われた1st Legでは、不運な失点で2点を失った上に、フッキの猛然とした突破を許して3失点しますが、完全アウエイの上海8万人体育場でしっかりアウエイゴール2点を返す事ができた粘り強さが、2nd Legに繋がりました。
4月に埼玉スタジアム2002で行われた2nd Legでは、アウエイゴールを狙う上海上港に対して、浦和レッズは1点も与えずに1点を取る事がミッションでした。GK西川周作選手が神がかり的なスーパーセーブを連発し、当初プラン通り完封し、密集の中ズラタン選手とラファエル・シルバ選手のパス交換からの貴重な1点を死守して、劇的な勝利を収めたのです。
フッキ選手が怪我で出場できなかったという運、オスカル選手が2度もPKを外すという好運があったにせよ、大一番ではこれも実力。グループFを首位突破できたのは、上海上港に対して思い通りにさせなかった浦和レッズのスカウティングと選手の粘り勝ちと言えました。勿論スタジアムに集結した多くのサポーターの応援があっての事です。
オスカルのPKシーン(2本目)#オスカル#上海上港 #浦和レッズ pic.twitter.com/I8JACjMR22
— 浦和レッズ@専用アカ (@urawaRed20) 2017年4月12日
ラウンド16総括
グループFを首位突破した浦和レッズは、5月に行われたラウンド16でKリーグの済州ユナイテッドと対戦します。
済州で行われた1st Legは0対2で敗戦。再三決定機を作りながらゴールを割れず、逆に少ない決定機を相手に決められたという結果でしたが、ゲーム内容そのものは決して悪いものではありませんでした。
然しながらアウエイゴールを1点も決められなかったというハンデイは、浦和レッズにとっては重い物でした。
迎えた埼玉スタジアム2002での2nd Leg。浦和レッズの命題は、相手にアウエイゴールを決めさせずに、自らは3点をもぎ取る事。それが出来ない限りこのゲームで敗退という背水の陣でした。
ホームでありながら完全に不利な状況。然し、興梠慎三選手、李忠成選手、森脇良太選手の3ゴールで、見事命題を貫徹。グループステージでの上海上港戦と同様、1戦目にアウエイで敗退するも、2戦目のホームで完封の上得点を重ねて逆転勝利する事ができたのです。
これも、選手の粘りと、ホームのサポーターの後押しが大きく寄与した筈です。ACLのゲームは、平日の夜に行われます。各国会場では、集客が儘ならないのが実情です。然しながら埼玉スタジアム2002には、熱烈な浦和レッズサポーターが集結して来るのです。
ホームアドバンテージが発揮できる浦和レッズは、各国のクラブには無い大きな力を有している事は間違いありません。埼玉スタジアム2002は、特別な場所なのです。
今シーズンの浦和レッズの歩み
昨シーズン、残念ながら2ステージ制の非運を味わった浦和レッズ。年間最多勝ち点を獲得しながら、年間チャンピオンを逃していたからです。
迎えた今シーズンは、出だしでつまずくものの、次第に昨年同様の攻撃サッカーを取り戻し、驚異的な得点力を発揮して前半戦を終えようとしていました。
ところが、6月を迎えた所から突如失点が大幅に増え始めました。前半戦機能していた相手陣内での攻撃的なプレスが鳴りをひそめてしまい、プレスができずに後手に回る悪い浦和レッズのパターンが散見される様になります。
攻撃的なプレスから、敵陣でボールを奪い、素早くボールを回して得点するという、浦和レッズらしいサッカーが全く見えなくなってしまいました。
その上、GK西川選手にミスが目立つ様になり、見る見る内に失点を重ねる状態が連続してしまいました。その兆候は6月から始まったのです。
ACLラウンド16で済州ユナイテッドとの死闘を制したのが5月31日。筆者はこの日を境に、チームには見えない糸が切れた様に感じました。
ACLで闘うというのはJリーグクラブのプライドでもあります。一方で、Jリーグを闘うクラブとしては、アジアの舞台と日本の転戦をこなす事の困難さがこうして現れて来るのです。
それは浦和レッズがJリーグクラブとしてアジア初制覇した2007年にも見られた徴候でした。
by 西川周作Twitter
2007年アジア制覇時の浦和レッズの歩み
2006年のJリーグ優勝クラブとして、浦和レッズは2007年にACL初制覇します。日本チャンピオンであり、アジアチャンピオンになったのです。当時の闘い振りは、今思い返しても見事でした。圧倒的な得点力を重ねたというよりも、浦和レッズらしさをある程度抑えながら、勝ち点を上げるサッカーに徹していました。
勿論勝ち点を上げるには、選手の沈着冷静な判断と、粘り強さが必要な事は言うまでもありません。浦和レッズ史上最高と呼ばれた選手を揃えたあの当時のメンバーの、必死な闘い振りが思い起こされます。
何と初戦から決勝戦までの全12試合で一度も負けなかったのです。当時のオジェック監督のサッカーは、負けないという点に特化していました。準決勝第二戦となった埼玉スタジアム2002での城南一和とのPK戦で、GK都築亮太(元)選手が神がかり的なセーブをして劇的勝利をした事もありました。
ACLで優勝するまでに一度も負けないゲームをするという事は、どんなに至難の業であるかは、読者の皆さんも想像できると思います。
2007年の浦和レッズは、そうしてアジアの頂点に上り詰めたのです。その当時の事を、現メンバーでは唯一キャプテンの阿部勇樹選手だけが覚えている筈です。
Jリーグクラブとして初のアジアチャンピオンになった2007年、浦和レッズは終盤までJリーグで首位に立っていました。然し、ACLでの死闘の悪影響は確実に現れていました。勝てなくなってしまったのです。
オジェック監督の選手起用はかなり硬直的で、ターンノーバー制を採らず、ほとんど同じメンバーでJリーグとACLを闘っていました。
筆者も埼玉スタジアムで感じていましたが、選手の疲労度合が蓄積されていました。最終節はJ2に降格が決まった横浜FC。浦和レッズは引き分ければ、前年に続いての連覇が決まるゲームでした。然し敗戦してしまうです。
アジア王者のクラブが、J2降格が決定してモチベーションの失せているチームに負けてしまったのです。初の連覇は夢と消えてしまいました。浦和レッズサポーターが大挙して見守っていた日産スタジアムで、筆者も悲嘆にくれた一人でした。
ACLとJリーグの二兎を追うのは至難の業なのです。その道のりを浦和レッズは今年も歩んでいます。
by thedailyjapan.com
ノックアウトステージ準々決勝 総括
川崎フロンターレとのJリーグクラブどうしの今年のACL準々決勝二戦。初戦はアウェイの等々力競技場で、浦和レッズは1対3の完敗でした。
多くの相手選手にペナルティエリア内への侵入を許し、ボールを散らされ、浦和レッズ同様に攻撃的な川崎フロンターレに翻弄されてしまいました。
アウェイゴールを1点取れた事が微かな成果で、2nd Legに向けて、2対0で勝利するゲームプランが練りあげられた筈です。
グループステージの上海上港戦、ラウンド16の済州ユナイテッド戦と同様、初戦のアウェイで敗戦し、二戦目のホームで無失点の上得点しなければならないとうゲームプランです。
そのプランは前半19分に早くも崩れてしまいます。中村憲剛選手からのスルーパスがGK西川選手の左に流れた所に、飛び出した西川選手よりも先にボールにタッチしたエウシーニョ選手にゴールを決められてしまったからです。
この時点で浦和レッズが勝利する為に必要な得点は4点。多くのサポーターが極めて低い可能性と認識したでしょう。
前半35分、矢島慎也選手のスルーパスから興梠選手がゴールを決めて同点とします。残された時間は55分、必要得点はあと3点。
直後の前半38分アクシデントが起きるのです。車屋紳太郎選手の上げた足が興梠選手の顔面を直撃してしまい、車屋選手は一発退場。川崎フロンターレは中村選手を下げて田坂佑介選手を投入します。現状を死守しさえすれば川崎フロンターレは準決勝に進出できるのです。
攻撃的なチームが守備的なプランに変更せざるを得なくなりました。ここに浦和レッズのつけ入る隙と、闘志がみなぎって来る事になったのです。
後半怒涛の攻撃を開始する浦和レッズ。後半25分に柏木陽介選手のCKからズラタン選手のヘディングが決まります。残り20分で必要得点は2。可能性は低くもあり、不可能とも言えない。しかも相手は10人。そして熱烈な浦和レッズサポーターの後押し。
後半39分、柏木選手からのショートパスをペナルティエリア内で反転して受けたラファエル・シルバ選手が電光石火のゴール。残り6分で必要得点は1。
直後の後半41分森脇選手からのアーリークロスを左サイドの高木俊幸選手が左足で見事なボレー・ループ・シュートを決めたのです。この時点で残り4分。不可能にさえ思えたミッションを達成。
初戦で敗退した二戦目のホームで、又しても浦和レッズは奇跡的な勝利を収めました。見事なゲームでした。ミラクル・レッズでした!
2007年の浦和レッズは一度も負けずにアジア制覇。今年の浦和レッズは初戦をアウェイで敗退しても、ホームの二戦目で完封勝利。次戦の上海上港戦との準決勝も先ずはアウェイで初戦。
今年のセオリーからすれば、二戦目の埼玉スタジアム2002で確実に完封勝利する筈。1st Legは9月27日の上海。そして決選の2nd Legは10月18日の埼玉スタジアム2002です。
2008年のガンバ大阪以来、日本勢のアジア制覇は途絶えています。9年振りのJリーグクラブのアジア制覇に向けて、皆さん10月18日は埼玉スタジアム2002へ!