今シーズン前半戦は好調に勝利を重ねていた浦和レッズが失速しています。先週のコンサドーレ札幌とのアウェイ戦に敗戦後、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(以降、ミシャ前監督と表記)が辞任する事態に陥ってしまいました。
昨年のシーズンは、変則的なシーズンだった事もあり、晴れてリーグ制覇はできなかったものの、年間最高勝ち点を獲得して実質的にはリーグ制覇に等しい活躍だった事は、多くのJリーグファンの皆さんはご存じの事だと思います。
そのクラブが低迷に喘いでいます。再起を任されたのは、又してもあの人、堀孝史監督です。
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— レッズプレス!! (@REDSPRESS) 2017年7月30日
天国から地獄の5年間
数年前を振り返ります。2011年シーズン終盤。堀監督は5試合だけ監督として浦和レッズの指揮を執りました。実はその年の開幕時の監督は、かつての浦和レッズの選手でもあったゼリコ・ペトロビッチ監督でした。
浦和レッズは2006年にJリーグ初制覇、2007年には日本のクラブとしても初となるアジア・チャンピオンズ・リーグを制覇し、クラブの絶頂期を迎えていました。
その一方、ベテランから若手への選手切り替えの時期も迎えており、新陳代謝が上手く行かず次第に成績は下降線を辿って行きます。2009年に就任したフォルカー・フィンケ監督は、積極的にユース所属の若手選手の底上げを図り、Jリーグの上位進出とクラブの成長戦略を実行しますが、その両面が明確になる事はありませんでした。
そこで迎え入れられたのがゼリコ・ペトロヴィッチ監督だったのです。現役時代に闘志溢れるプレイをサポーターに示してくれた存在でしたが、監督としての成果を残した指導者とはとても言い難く、クラブの監督選考には大きな疑問符が付けられていました。
案の定、チームは一層下位に低迷し、J2降格圏内にランキングされる事態となり、残り5節を残した時点でクラブは監督を解任しました。J1残留という至上命題を任されたのが堀孝史監督だったのです。正に絶体絶命のピンチでした。
— Redream9 (@Redream9) 2016年11月15日
誰しもが逃げ出したい状況を引き受けた男
シーズン最終盤の壊滅的なチーム状況。5年前にリーグ制覇した名門クラブの二度目の降格の危機。前監督の突然の解任。この状況での監督就任を喜んで引き受けたい指導者がいる筈も無い場面でした。クラブの要請があっても固辞して当たり前の状況です。そのクラブの指揮を引き受けたのが堀孝史監督だったのです。
堀監督が就任した時点での残りのゲーム数は5。結論を先に申し上げると、2勝1分2敗で5分の星。首の皮一枚でJ1残留を決めたのです。
当時、堀監督は浦和レッズユースの監督の立場にありました。育成世代に責任を負っていたクラブの一員でしたが、トップチームのコーチとしてベンチで監督を補佐していた訳ではありません。
クラブの一員であるのですから、トップチームの置かれている位置付けを知らない筈はありませんが、シーズンを通じてベンチからトップチームの状況をつぶさに目の当たりにしていた存在ではありません。
日本最高リーグの監督経験も無く、気持ちの整理をつけられる猶予も与えられず、クラブは絶体絶命のピンチの状態で、監督就任を即断できたのは、責任感という言葉以外に適切な言葉を筆者は見つける事ができません。
クラブのOB選手であり、長らくユースチームのコーチと監督を勤めあげて来た男として、クラブの絶体絶命のピンチを受け入れた男。それが堀孝史監督その人であります。
by mayuの上原彩子さんと浦和レッズと音楽 ブログ
コーチとしてミシャ監督を支え続けた功労者
絶体絶命のピンチを救ってくれた堀監督は、クラブにとっても、サポーターにとっても、命の恩人と言える存在です。誰しもが引き受けたくない場面に際して逃げる事なく立ち向かい、勇気を振り絞ってストイックに仕事を成し遂げてくれた指導者だと筆者は考えています。
2012年シーズンは、堀監督が開幕から晴れて正監督として指揮を執るのだろうと筆者は想像していました。然し結論は違ったのです。2012年に浦和レッズの監督に就任したのは、ミシャ前監督でした。
2011年シーズン終盤の5ゲームの指揮を執った堀監督は、ピンチヒッターだったという事が残された事実なのです。あの四面楚歌の状態を乗り越えて結果を出した監督への論功行賞は、正監督就任ではなく、監督を補佐するコーチの役目でした。
2011年シーズンでJ2降格寸前だったチームは2012年に見違える復活を遂げます。結果はリーグ3位、5年振りにACLの出場権も獲得しました。
その後は毎年リーグ優勝に絡む結果を残し、常に上位に位置する名門クラブとして位置づけられる様になりました。リーグ制覇こそできませんでしたが、2015年1st優勝(史上初の無敗制覇)、2016年ルヴァンカップ優勝、、2016年年間最高勝ち点獲得は、間違いなくミシャ前監督の成果です。
しかしその前に、2011年シーズンの降格を阻止してくれた堀監督の手腕が無かったら、ミシャ監督の浦和レッズ就任も。その後の成果も達成されていたとは限りません。
つまり、クラブ最大の危機を回避してくれた堀監督という存在があってこそ、現在の浦和レッズが存在していると言えるのです。
その上で、コーチとしてミシャ監督を支え続け、再び訪れたチームのピンチに新監督に就任したのが堀監督です。
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— レッズプレス!! (@REDSPRESS) 2017年8月1日
育成年代指導経験が問われるトップチームの指揮
堀監督は1967年生まれの49歳。神奈川県立鎌倉高校時代に高校選手権に出場し、明治大学サッカー部を経て、日本リーグの東芝に加入し日本代表にも選出されています。
Jリーグ開幕前年の1992年に浦和レッズに入団。1998年まで主力選手として活躍した後、1999年にベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に移籍し2001年に現役を引退します。
引退と同時に湘南ベルマーレの育成年代コーチに就任。2005年に浦和レッズユースのコーチとして古巣に戻り、先週まではトップチームのコーチをされていました。
浦和レッズの現役時代は、攻撃的なポジションから守備的なポジションまで幅広くこなし、ポリバレントな才能を発揮していました。数多くのポジションを経験している経歴は、指導者としての力量に大きな影響を与えています。
Jリーグの監督経験は前述の通り2011年の最終盤5ゲームのみ。はっきり申し上げて、堀サッカーと明確に言えるサッカーが観れた訳ではありません。とにかく失点を最少化し、勝ち点を上積みしてJ1残留するサッカーをしたに過ぎないのです。
つまり、堀監督のサッカー哲学が公開されるのは、これからと言えるのです。
湘南ベルマーレでも、浦和レッズにおいても、長らく育成年代の指導者をされて来た方なので、選手とのコミュニケーション能力には定評があります。
現在の浦和レッズトップチームは、失われた自信が取り戻せていない状態と言えます。ミシャ前監督の電撃交代劇というショックも内在しています。自ずと選手の心的側面を踏まえた対応と、テクニカルで戦術的な側面の両面が求められています。
by 鎌高サッカー部OB会ブログ
魅力的な戦術と勝ち点獲得の整合性
ミシャ前監督のサッカーは非常に変則的なシステムを実行する稀なサッカーと言われて来ました。基本フォーメーションは3・4・3とも、3・4・2・1とも呼ばれますが、両翼のMFが果敢に攻撃参加するスタイルで、5トップとも言える状況を作り出せている時は相手を圧倒します。
一方防御は必然的に手薄になる可能性が高いのですが、DFだけが堅固にブロックする防御システムではなく、全フィールドプレイヤーができる限り相手陣内で強いプレスをかけて、数的有利な状況と作りだし、高い位置からボールを奪って攻撃する事を信条としています。
これが絵を描いた様にうまくはまっていたのが昨年のシーズンであり、今シーズン前半戦の浦和レッズでした。
多くのサッカー評論家が、面白いサッカーであるが、危険度も高いサッカーだと指摘する由縁がここにあります。
ここ最近のチームは、こう言ったミシャ前監督のコンセプトが理論通りに遂行されず、相手に奪われたボールを追いかけ切れずに失点する事態が連続しており、最も改善が求められています。
つまり、堀新監督の手腕が期待されるのは、ミシャ前監督の良きコンセプトを活かしつつ、崩壊してしまった防御能力との整合性をつけて、勝てるチームに変貌させる事にあると筆者は考えています。
ミシャ監督のサッカーはとても魅力的でした。相手を崩して楽しく攻撃するサッカーを見せてくれました。浦和レッズの魅力と言って過言ではありません。
如何せん勝利を失い続けてしまったのが、今シーズン中盤からの傾向で、監督交代劇に発展してしまった訳です。
堀新監督に求められているのは、浦和レッズらしい攻撃的で魅力溢れるゲーム内容と共に、必ず勝利して勝ち取る勝ち点の両方なのです。
by 浦和レッズ観戦ガイド
2011年の修羅場を経験している当事者である堀監督が、再び浦和レッズの危機に指揮官に就任したのは、必然とは言わないまでも偶然では無い筈です。あの絶望的な状況を監督として乗り切った経験は必ず今後のシーズンに活かされると期待しています。
そして、浦和レッズらしいサッカーであり、これが堀サッカーだとサポーターが感じる事ができるサッカーを見せてくれると信じています。
願わくば浦和レッズフロントには、前回の様なピンチヒッターでは無く、数年かけて新たなチームを作り上げる時間を掘監督に与えて欲しいと筆者は願っています。
浦和レッズ、巻き返しますよ!この人が監督なのですから。