100得点は通過点!更なる境地を目指す浦和レッズの興梠慎三選手

100という数字は切りの良い数字であり、満点を表す数字。一つの成果を表現するのに適切な数字です。
今年Jリーグで節目となる100得点を記録した選手がいます。浦和レッズのFW興梠慎三選手(以降興梠選手と記載)です。
現役バリバリの興梠選手にとって、100得点はあくまでも通過点。嬉しい記録も淡々とスルーして、更なるゴールに向かっています。

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小学生時代から天才的ストライカー

興梠選手は1986年生まれの宮崎県宮崎市出身のサッカー選手です。
小学生の時にサッカーを始めた興梠選手は、高校までは特段の華々しいサッカー経歴がある訳ではありませんが、地元ではちょっと知られたサッカー少年だったそうです。
後に鹿島アントラーズでチームメイトとなる伊野波雅彦選手は小学校のチームメイトで、「ゴールを決めまくっている印象しかない」と述懐されています。ある年は約15試合で50得点していたと伝えられています。ほぼ毎試合ハットトリック以上のゴールを量産していたことからも、超絶サッカー少年だったことが伺えます。
得点力は既に小学校の頃から備わっていたという事であり、現在の興梠選手の下地は既に小学生の時から備わっていたのでした。

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Jリーグ初ゴールは入団3年目

志望校への進学に失敗した興梠選手は、請われて強豪サッカー部を擁する鵬翔高校に進学します。
高校2年生の時に全国高校選手権に出場し、本田圭佑選手(現ACミラン所属)擁する星稜高校に敗れてしまいます。この敗戦は興梠選手のサッカー選手のモチベーションに火を点けたと言われています。
高校卒業した2005年にJリーグの名門クラブである鹿島アントラーズに入団します。高卒ルーキーとして初年度から公式戦に出場しますが、2年間はゴールを挙げる事ができませんでした。
初ゴールを決めるのは入団して3年目の2007年シーズン第14節の大分トリニータ(現在J3)戦でした。このゴールから今シーズン達成したJリーグ100得点への道のりが始まったのです。

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ジーコイズムの薫陶を受け成長

鹿島アントラーズはJリーグで最多優勝回数を誇る名門クラブです。Jリーグ発足前の1991年、鹿島アントラーズの前身クラブである住友金属に、ブラジルサッカー界のスーパースターである元ブラジル代表選手のジーコ選手が入団しました。勿論Jリーグ発足を踏まえての補強でした。
既にジーコ選手は全盛期を過ぎてはいたものの、1993年のJリーグ開幕戦でハットトリックを決めるなど、ブラジルのスタープレイヤーとしての見事なプレイを日本のサポーターに見せてくれました。
ジーコ選手の存在は、そのプレイだけにとどまらず、その後ジーコイズムと呼ばれて鹿島アントラーズの精神的な支柱になっていきます。ピッチ上のプレイにとどまらず、ゲームに向かうまでの日常の過ごし方や、ゲームに臨む姿勢、勝利へのあくなき拘りなど、プロフェッショナルなサッカー選手としての心構えが今も語り継がれています。
そういうバックボーンのあるクラブで、興梠選手は高校卒業から育って行ったので、物静かなパーソナリティながら、プロサッカー選手として勝利に拘る姿勢を身につけて行きます。
そして、日本代表の柳澤敦選手やマルキーニョス選手という、鹿島アントラーズきってのエースストライカーの存在をつぶさに見続けて、ストライカーとしての成長の糧にして行きました。
2007年から2009年にかけて、鹿島アントラーズはJリーグ3連覇を成し遂げます。謂わば鹿島アントラーズの絶頂期に、若手ながら主力選手として出場を続けて、興梠選手は勝つメンタリティとストライカーとしての経験を積んで行きました。

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赤き血のイレブンに

♪オー 浦和レーッズ あーつーきハート 赤き血のイレーブン 行こうーぜ 浦和ー♪
Jリーグで最も熱いサポーターを擁する浦和レッズの「熱きハート」というチャントです。
2013年、興梠選手は鹿島アントラーズにとっては謂わば最大の敵とも言える浦和レッズに移籍し、赤き血のイレブンに仲間入りします。
2007年にアジアチャンピオンになった浦和レッズはその後下降線を辿り、2011年にはまさかの降格寸前にまで追い込まれていました。2012年に現在のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(以降ミシャ監督と記載)が就任し劇的にチーム状態を好転させ3位に躍進しますが、絶対的なストライカーが不在という状態でした。
興梠選手は浦和レッズ復活をかけた救世主の役割を期待されて、鹿島アントラーズから浦和レッズに移籍して来たのでした。しかし、シーズン当初は得点ができず、埼玉スタジアムのサポーターをやきもきさせてしまいます。浦和レッズに移籍後の初得点は第6節の湘南ベルマーレ戦。やっと得点できたと思ったのも束の間、再びゴールする事ができなくなります。
興梠選手から呪縛を解いたのが古巣の鹿島アントラーズ戦でした。第11節の鹿島アントラーズ戦で浦和レッズ移籍後2ゴール目を決めて、気持ちにわだかまりが消えたのでしょう。結局移籍した2013年シーズンは通算13得点と、自己最高得点記録を更新します。
その後2014年12得点、2015年も12得点をあげて、浦和レッズ移籍後は安定して10得点以上をあげる、名実ともに赤き血のイレブンのトップストライカーになったのでした。
 

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しなやかな万能選手

興梠選手は身長175cm。プロサッカー選手としては大柄な選手ではありません。最大の特徴は万能だという事です。不得意科目が全く無いオール5の成績を修める学生の如しです。
シューズからボールが離れないドリブルとトラップ、相手ディフェンスをかいくぐる感性と運動神経、スペースへの飛び出し、左右どちらの能力も高いキック、周囲を見渡す視野の広さ、相手を活かすスルー、GKの嫌がる場所に跳ね返すヘディング、そして何よりも勝ちへの拘りです。
記事冒頭に述べた通り、小学生時代から天才的な得点能力を有するサッカー少年だったという素質をベースに、ジーコイズムの徹底された鹿島アントラーズの全盛期の屋台骨を背負い、Jリーグ3連覇を成し遂げたチームの一員として、個のテクニックと、勝ちにこだわるプロ意識を誠実に高めて来た選手だと言えます。

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3試合に1点積み重ねた100得点

2016年シーズンの開幕ゲームは2月24日のACLグループステージ第一戦のシドニーFC戦でした。興梠選手はこの開幕ゲームで今シーズン初得点を決めています。浦和レッズは残念ながらラウンド16で敗れてしまいますが、興梠選手は今年のACLで2得点し、ACL通算14得点となり、自己の持つACL日本人最多得点記録を更新しました。
Jリーグは1stステージ第3節のアビスパ福岡戦で2ゴールを決めて、順調な滑り出しで今シーズンを迎えました。李忠成選手と武藤雄樹選手という二人の攻撃的選手も絶好調で三人合わせてKLMトリオと呼ばれました。

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夏にはリオデジャネイロオリンピック日本代表にオーバーエイジ枠で選出されて、初戦のナイジェリア戦でPKを決めますが、チームはグループステージ敗退してしまい、帰国した興梠選手は一時コンディションを崩してしまいます。
オリンピックから帰国約一か月後の2ndステージ第12節FC東京戦で復活の狼煙を上げて、第15節のアルビレックス新潟戦で記念すべき100得点を決めたのです。Jリーグ出場310試合目で達成された100点ですから、3試合に1点ゴールを決めた事になります。

ご本人は

自分はなかなかまとめて点を取ることができないタイプです。そういう意味では、1試合に1点取ることを目標にやっています。シュートが下手なので、もっと決めないといけないと思います。でも、更新することは自分にとってうれしいことです。

ととても謙虚にインタビューに答えています。こういうパーソナリティも興梠選手の魅力です。

ミシャ監督は

彼のクオリティーであれば、この時点で150点は取れていなければおかしいと思っています。彼の質であればもっと取れると思っています。

と、褒めながらももっと得点できる選手であると興梠選手を鼓舞しています。
興梠選手の2016年シーズンは14得点で、チーム得点王。Jリーグ全体では第6位、日本人選手では第3位の記録となり、浦和レッズの年間勝ち点第1位に大きく貢献しました。
Jリーグ100得点は、史上12人目。現役選手では4人しか達成していない大記録です。1試合に1点更にゴールを決めて、ミシャ監督の仰る通り、更なる境地を目指して頑張って欲しい選手です。

by 産経ニュース

控えめな性格故に、大記録でさえも謙虚に受け止める興梠選手。勝ちに徹したプロフェッショナルは、静かに燃える九州男児。多くの皆さんにもっと知って欲しい存在です。

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