古巣相手に長居へ永井が凱旋!J2屈指のFWに成長した永井の「長居で永井ゴール」が生まれるのか?(写真は長崎での6月の対戦時)by O lunatico amou futebol
22チームで構成され、全42試合制の明治安田生命J2リーグも30節を消化。長丁場のリーグ戦もいよいよ最終局面に差し掛かっています。
順位表を見れば、首位の北海道コンサドーレ札幌が2位の松本山雅FCに勝点9差で独走。首位と同じくJ1への自動昇格となる2位の座も松本が長期間に渡ってしっかりとキープしています。
そんなJ2リーグの得点王争いを見てみると、J1やドイツでも活躍して来た清水エスパルスの北朝鮮代表FW鄭大世選手が17得点でトップに立ち、J2で豊富な実績を持つ札幌FW都倉賢選手が15得点で続く中、1人の無名FWが14得点で3位につけています。
Vファーレン長崎所属の25歳のFW永井龍選手です。(注:「龍」は「リョウ」と読みます。)
杉本以上の逸材FWもプロ入り後は起用貧乏に
C大阪の下部組織時代には現・C大阪FW杉本以上の逸材と期待されていたが、トップ昇格後は伸び悩んだ。by Alchetron
永井選手は各年代別の日本代表としても活躍し、2010年にセレッソ大阪の下部組織からトップチームに昇格。FW柿谷曜一朗選手やFW杉本健勇選手、MF山口蛍選手(共に現・C大阪所属)等を輩出した名門の育成組織が期待を寄せるFWでした。
特に高校生年代に相当するユース時代には、1歳年下ながら飛び級でトップチームに昇格したFW杉本選手がチームメートにいたのですが、その杉本選手は空中戦やボール際の強さを活かしてDFとしても起用されていました。当時の監督は「杉本は最終的にはセンターバックで大成する」との言葉も残していたほど。ただ、その杉本選手をDFに回したのは、それ以上に永井選手の点取り屋としての能力が驚異的であったためでもあります。
身長は180cmとプロサッカー選手としては人並ながら、筋肉自慢でフィジカルコンタクトでも負けない強さを持ち、圧巻のスピードで即座にゴールへ向かう。C大阪が下部組織から一貫して貫く激しいプレッシングの連動にもそのスピードが活き、スプリントを繰り返す事ができるのが永井選手の特徴です。
しかし、その武器は本格的なプロの舞台では器用貧乏に陥る要因に。「スピードがあって、プレスにも献身的なFW」は、途中出場から流れを変えるカードとしては有効なため、プロ1年目から出場機会が訪れました。しかし、最初の2年半でリーグ戦25試合に出場しながら無得点。途中出場ばかりで「与えられる時間が少ない」とはいえ、少なくはない出場機会で全く結果を残せない葛藤もありました。
3年目も8試合の途中出場のみだった2012年9月、永井選手はオーストラリアのパース・グローリーFCへのレンタル移籍を決断。スピード系の選手にありがちな怪我も経験しつつ、チームの貴重な戦力としてレンタル期間を延長しながら1年半を豪州で過ごしました。
豪州では主力として高く評価されるも、チーム事情もあって得点数は伸びず。by GOAL.com
豪州での1年半で残した成績はリーグ26試合出場で4得点。先発出場の機会は多かったのですが、起用されるポジションや役割がサイドに限定された事もあって得点数は伸びず。それでも貴重な経験を積んだ永井選手は2014年シーズンから古巣C大阪に復帰しました。
戦力として評価されたのは「プレッシング要員」
豪州での経験を自信にC大阪に復帰した2014年。21試合(先発10)に出場した永井(左)に与えられた役割は、「プレッシング要員」だった。by O lunatico amou futebol
2014年シーズン、前年にリーグ4位へと躍進したC大阪はクラブ創設20周年を盛大に祝うべく、2010年の南アフリカW杯で得点王と最優秀選手をダブル受賞したウルグアイ代表FWディエゴ・フォルラン選手を補強。日本代表でもエース候補として話題を集めつつあったFW柿谷選手との「史上最攻」の2トップに期待が集まりました。
しかし、35歳となったフォルラン選手はシュートやキック精度でワールドクラスぶりを披露する一方、身体のキレを著しく欠いて衰えを隠せず。そのフォルラン選手の負担をカヴァーするようにトップ下や右サイドで守備の負担が多くなった柿谷選手は持ち味が消えてしまいました。
結果、柿谷選手は海外移籍でチームを離れ、監督交代も2度起き、フォルラン選手と後に加入した元ドイツ代表FWカカウ選手は次第に主力から外れました。シーズン3人目の監督に就任したのは2010年からU18チームの指揮を執っていた大熊裕司氏。その時にチャンスを得たのは、杉本選手と永井選手という下部組織時代からのFWコンビでした。
そして、永井選手はプロ入り5年目にしてプロ契約直後から宣言していた(ホームのヤンマースタジアム長居を冠した)「長居で永井ゴール」も記録。このJリーグ初ゴールを機にリーグでは3得点を挙げました。
ただ、永井選手に与えられた役割はその抜群のスピードを攻撃に活かす事ではなく、最前線からスプリントを繰り返して高い位置からのプレッシングの急先端となる事でした。
それまでJリーグで無得点だったFWに決定力の部分でも賭けるには、あまりにも実績に乏しかったのは明白でしたが、シーズン前には「史上最攻」のスローガンを掲げながら、FWの選考にも守備力を重視する方針となったチームはJ2へ降格。もう少し杉本選手と永井選手を信じても良かったのでは?とはサポーター心理かもしれませんが、どうせ降格するなら・・・とはニュートラルに考えても未だに筆者も感じます。
生死に関わる負傷、完全移籍、結婚を経て、J2得点王争い
この「長居で永井のJ初得点」から約2年。古巣に凱旋する永井は成長の跡を見せつけられるか?by 桜色舞うころ ❀ I BELONG TO CEREZO
C大阪がJ2へ降格した2015年、永井選手は再びレンタル移籍を決断。同じJ2の大分トリニータで9試合に出場して2得点。チャンスを掴み始めたのですが、当初から7月中旬までの異例の短期レンタルとなっており、シーズン途中に古巣復帰。これはフォルラン選手とカカウ選手が夏で契約が切れるためであった事が想定されます。
結局、C大阪はその後もベテランの外国籍FWを獲得し、永井選手に出場機会は訪れず。しかも天皇杯で腎臓破裂という生死に関わる負傷も経験。2016年シーズンを迎える前、永井選手は完全移籍で下部組織から在籍したC大阪を去る決断を下しました。
2015年シーズンの早い時期から獲得のオファーを出していたVファーレン長崎に加入した永井選手は、今季の開幕から先発に定着しています。
ここまで暫定30試合(9月7日現在)を消化したチームで、28試合に先発出場。特筆すべきはフル出場が25試合で、途中交代した3試合も最低88分まではピッチに立っていたこと。完全にエース待遇の環境を手にした中で、現在まで14ゴールを積み上げています。
チームを指揮しているのは、高校サッカー界の超名門である地元長崎の国見高校出身にして、『アジアの大砲』の異名までとった元日本代表FW高木琢也監督。長崎サッカー界が生んだレジェンドから直々に、「FWとしての経験や覚悟」を注入されている永井選手。これまでのDF裏への抜け出しやドリブル突破だけでなく、クロスに合わせるポジショニングや点取り屋としてのメンタル形成を試合を通して体得しています。
生死に関わる負傷、完全移籍、結婚を経てのJ2得点王争い。そんなJ2屈指のFWに成長した永井選手が9月11日、古巣C大阪とのJ2リーグ第31節で大阪に凱旋。長居スタジアムではなく、お隣のキンチョウスタジアムでの開催ですが、ネーミングライツを外せば、旧長居球技場となる地。
古巣の最多得点者は元相棒の杉本選手ですが、未だ9得点。すでに14得点を挙げている永井選手は敵として古巣相手に「長居で永井ゴール」を炸裂させるのでしょうか?注目です!