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あの男が帰って来た!闘将と呼ばれた男、田中マルクス闘莉王選手がJリーグに復帰

扇ガ谷 道房

2016/08/26 21:45

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NEWS

ビッグクラブ浦和レッズへの運命的な移籍

そしてJリーガーとしての一大転機が訪れます。2004年にJリーグの強豪クラブである浦和レッズに完全移籍を果たすのです。
浦和レッズの本拠地は、Jリーグ創設前から日本で最もサッカーが盛んなサッカータウンとして知られた街。サッカーの事を良く知る市民が多く、熱狂的なサポーターのいるクラブとしても有名です。
このクラブに移籍を果たした事は、意気に感じて闘う闘莉王選手にとって、願っても無いサッカー環境を手に入れた事になります。
後の本人談として、埼玉スタジアム2002で浦和レッズのサポーターに囲まれたピッチに立つと、涙が込み上げて来る事が多々あったと述懐されています。正に闘莉王選手にうってつけのクラブへの完全移籍でした。
そして浦和レッズの不動のセンターバックとして定着し、2006年にはクラブ史上初のJリーグ優勝に大きく貢献しました。
その翌年、浦和レッズはアジアチャンピオンズリーグを制し、日本のクラブとしてアジア初制覇を成し遂げます。迎えた年末のクラブワールドカップにアジア王者として出場し、ACミランに惜敗したものの、世界三位という成績を残しました。勿論闘莉王選手は主力としてその戦いに貢献しました。
浦和レッズに移籍をして、大観衆のスタジアムで、サポーターの応援に必死で応えながら戦う姿を評して”闘将”と呼ばれ始めます。
正に、ペナルティーエリアをこじ開けさせない鉄壁の守りに努める、闘志溢れる闘莉王選手を見事に表現している呼称です。
最適な環境だったにも関わらず、不幸な事に、2006年で優勝監督のブッフバルト氏が去った後、後任のオジェック監督、フィンケ監督とは、サッカースタイルの問題で衝突する事が増えてしまいます。
攻撃能力が高い闘莉王選手だからこその問題でもありました。センターバックという防御の要の攻撃参加という戦術問題です。
次第に違和感が広がり、2009年の契約満了に伴い契約延長する事なく、浦和レッズを去る事になりました。
闘莉王選手の退団を悲しむ浦和レッズサポーターの声は大きいものがありました。

05_浦和レッズ時代
by サッカー通よ集まれ!!

そしてピクシーの元へ

浦和レッズを退団した闘莉王選手が選んだ移籍先は、ピクシーことストイコビッチ監督率いる名古屋グランパスでした。
Jリーグ創設からのクラブでありながら、一度も優勝経験が無いクラブ。元名古屋グランパスのFWであったストイコビッチ監督を招聘し、悲願に燃えていました。そういう環境が、闘将闘莉王選手に火を点けたと言われています。
入団の会見が闘莉王選手の想いを正直に表していました。「リーグ優勝できなければ名古屋に来た意味はない」。闘莉王選手一人の力ではありませんが、会見のコメント通り2010年に名古屋グランパスは悲願のJリーグ初優勝を遂げたのです。
この年はプロ野球でも中日ドラゴンズがセリーグ優勝を遂げていて、サッカーと野球のダブル優勝で名古屋は盛り上がりました。
その後優勝することができなかったものの、名古屋グランパスのセンターバックとして活躍した闘莉王選手は、2016年Jリーガーとしての人生を終えて、故郷ブラジルに帰国したのです。

06_名古屋グランパス時代
by SOCCER GEEK

日本代表としてワールドカップに出場

Jリーグで有数のディフェンダーであった闘莉王選手ですがブラジル人。代表になってワールドカップ出場を果たすには、世界最高峰のブラジル代表にならなければなりません。日本で活躍し日系人である闘莉王選手は決断し、2003年に日本国籍を取得します。
すぐにU23日本代表に選出されて、アテネオリンピックに日本代表として出場を果たします。
その後ブラジル人監督のジーコ監督時代には日本代表に招集されず、初めて日本代表に招集されるのは2008年オシム監督の時でした。それ以降は常に日本代表に定着し、横浜マリノスの中澤佑二選手と共に、日本代表の不動かつ最強のセンターバックとして君臨しました。
2010年のワールドカップ南アフリカ大会に初めて出場を果たし、決勝トーナメント進出に大きく貢献しました。現在アーセナルのベンゲル監督からは、闘莉王選手と中澤選手のセンターバックは「日本代表の最高の武器だった」と絶賛されました。
闘莉王選手のプレイスタイルは堅固な対人的守備能力にあります。しかし単なるディフェンダーという訳ではなく、的確な前線へのフィード能力も有しています。又攻撃センスも持ち合わせていますし、ヘディングによる空中戦も得意です。つまり小学生の時から変わらぬ高い運動神経のあるサッカー選手なので、どのポジションをやらせてもこなしてしまう万能型のサッカー選手と言えます。
その上で、チームを鼓舞するリーダーシップや、小学校の担任の先生が述懐していた通りの優しい性格の持ち主でもあるので、身体的な能力の高さだけでない、人間的な魅力に溢れている選手です。ですから、ファンの心を掴んで離さない魅力的な選手なのです。

07_日本代表
by アサヒ・コム

そして再びJリーグに

今名古屋グランパスというJリーグ創設からのクラブが危機に瀕しています。このままの状態が続くとJ2降格の可能性がある成績です。小倉監督からジュロブスキー監督代行体制への移行が発表され、闘莉王選手の復帰が発表された背景には、J1残留を死守する目的がある筈です。
ジュロブスキー監督代行は「今のグランパスには彼のようなファイティングスピリットを持った選手が必要」と記者会見で述べている通りです。期待を意気に感じて闘う闘将こそ、危機の状態に相応しい仕事人と言える筈です。
闘莉王選手は8月26日に来日しました。9月10日のアウエイのアルビレックス新潟戦から出場が可能になります。あの闘将の姿を再びJリーグのピッチで観る事ができるのは、Jリーグファンにとっても願っても無い事です。

08_来日
by Winds of Ohara

闘将の力で、名古屋グランパスを浮上させることに期待が高まっています。

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