50mを5秒9で走り抜ける圧巻のスピードのように、電光石火に決まった移籍劇でした。
7月3日、サンフレッチェ広島の日本代表FW浅野拓磨選手がイングランドの名門クラブであるアーセナルへの完全移籍が決定しました。移籍金も約5億円というJリーグから海外のクラブへ移籍する日本人選手としては最高クラスです。
今季のアーセナルはイングランド・プレミアリーグで序盤戦からライバルクラブが軒並み不振で優勝戦線から離脱していく中、12年ぶりとなるリーグ優勝を本命視されていました。しかし、負傷者続出で終盤戦を迎える前に失速。最終的には帳尻を合わせて11年ぶりとなる2位で終えたものの、勝点では優勝したレスター・シティに10ポイントもの大差をつけられました。
とはいえ、そのレスターがリーグ戦で僅か3敗しかしなかった中の2敗が、アーセナル相手に喫したものでした。「”ミラクル・レスター”は確かに凄いけど、そこまで凄いのか?」と、レスター相手に2戦2勝のアーセナルファンの中には、そう思っていた人々も多かったはずです。
FWが補強ポイントだったアーセナル~イブラでもヴァーディーでもなく浅野を獲得
そんな中、リーグ優勝したレスターや同3位のトッテナム・ホットスパー、同4位のマンチェスター・シティにはそれぞれ、24得点のイングランド代表FWジェイミー・ヴァーディー選手や、25得点で得点王を獲得したイングランド代表FWハリー・ケイン選手、同24得点のアルゼンチン代表FWセルヒオ・アグエロ選手という20得点以上を記録した絶対的なストライカーがいました。しかし、アーセナルには2011-2012シーズンに30得点を挙げて得点王を獲得したオランダ代表FWロビン・ファン・ペルシー選手以来、4シーズンも20得点以上した点取り屋が存在していません。
今オフのアーセナルはイングランド代表FWダニー・ウェルベック選手の長期離脱も含めて、FWの補強が13年ぶりのリーグ優勝を狙う上での強化ポイントとなっていました。
まずはフランスの絶対王者であるパリ・サン・ジェルマンとの4年契約を満了し、イングランドのクラブへの加入が噂されたスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチ選手や、レスターのヴァーディー選手の獲得を狙ったアーセナルでしたが、前者はマンチェスター・ユナイテッドに奪われ、ヴァーディー選手に至っては、契約延長交渉の年棒吊り上げ工作に使われただけのようでした。
そんなアーセナルが今オフに獲得した最初のFWが浅野拓磨選手だったのです。
もちろん、「直近2年間のA代表での試合の75%以上の出場」というEU外国籍選手に必要な英国の就労ビザの認可基準をクリアできていない浅野選手は、即戦力どころか新シーズンにチームに登録できるかどうかも分かりません。現地だけでなく、日本でもその移籍に疑問符を投げかけるメディアやサッカーファンは多いはずです。
浅野拓磨選手の広島でのリーグ出場記録(筆者調べ)
それもそのはず。浅野選手は現在でこそ所属するサンフレッチェ広島で先発起用が続いていますが、昨年のJリーグのベストヤングプレーヤー賞に輝いたとはいえ、その昨年ですらリーグ戦での先発出場は僅か2試合のみでした。(上記表を参照)
それどころか、全プロキャリアとなる3年半でリーグ戦での先発出場は現在まで僅か9回のみ。得点も3年半で12得点です。エースと呼べる選手ではないどころか、レギュラーとして活躍していたわけでもなかったのですから。
EUROで開催国優勝に迫るジルー&コシールニー~23歳までトップリーグ経験がなかった2人
それでも浅野選手は昨年の明治安田生命Jリーグチャンピオンシップ決勝第2戦・ガンバ大阪戦での年間優勝を決定付ける得点や、今年初頭のリオディジャネイロ五輪アジア最終予選も兼ねたAFC-U23アジア選手権の決勝でも天敵・韓国相手に2ゴールで優勝に導くなど、ビッグマッチに滅法強いFWです。また、50mを5秒9で走る驚異的なスピードと瞬発力は如何にもアーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督の好みだろうとも推測できます。
しかし、「(欧州どころか日本のJリーグでも)ほとんど実績がない浅野で大丈夫なのか?」との疑問を抱くサッカーファンが多いのも当然です。
ただし、アーセナルでは過去の実績は関係ないと言えます。特にヴェンゲル監督は実績には左右されない指揮官です。
実は現在フランスで開催されているEURO2016で開催国の優勝に迫るフランス代表の最前線と最後尾を担う、FWオリヴィエ・ジルー選手(上記写真左側)と、DFローラン・コシールニー選手(同右側)はアーセナル所属の選手なのですが、2人とも23歳までフランスの1部リーグでの出場さえなかった遅咲きの選手です。
ジルー選手とコシールニー選手は2008-2009シーズンにトゥールというフランス2部のクラブでも同僚だったのですが、そのシーズンにコシールニー選手は2部のベストイレブンに選出されて1部のロリアンへ移籍。その後、僅か1年のトップリーグ経験のみでヴェンゲル監督が直々に獲得に動いたDFです。
コシールニー選手がロリアンへ移籍した翌年、ジルー選手が2部の得点王となって、1部リーグのモンペリエへ移籍。モンペリエ加入2年目、ジルー選手は自身が21得点で得点王となり、クラブ史上初のリーグ優勝に大きく貢献しました。そして、彼もトップリーグ経験が僅か2年でアーセナルへ加入した選手です。ちなみにジルー選手は、2006年に所属していたグルノーブルでは当時の日本代表FW大黒将志選手(現モンテディオ山形)の控えFWだった選手です。
共にアーセナル加入後は初年度からレギュラーを務めていますが、コシールニー選手はアーセナルに加入するまではフランス代表にさえ招集された事がない選手でした。
それでも今大会のEUROでは、FWのジルー選手が大会通算3得点と共に同6得点で大会得点王が濃厚なFWアントワーヌ・グリーズマン選手へのアシストなど世界屈指のポストプレーの精度を披露し、コシールニー選手は組織的な守備で勝ち上がって来た現代表チームを最終ラインから支えています。
つまり、アーセナル加入前の実績は特に関係ないのです。現在21歳の浅野選手ならば、尚更のことでしょう。
稲本や宮市の獲得とは全く違う理由~レンタル移籍でも育成枠でもない
by SOCCER KING
しかし、逆に21歳という年齢はアーセナルでは「若手」ではありません。10代でレギュラーや主力格に抜擢された選手は、MFセスク・ファブレガス選手(現チェルシー)やFWセオ・ウォルコット選手、MFジャック・ウィルシャー選手など大勢います。
また、中京大中京高校から直接アーセナルと契約(すぐにオランダのフェイエノールトへ半年間のレンタル移籍)した元日本代表FW宮市亮選手(上記写真/現ドイツ2部・ザンクトパウリ)は当時18歳でした。当時のルールでは21歳までに3年間をイングランドかウェールズのクラブに登録されていれば、国籍を問わずに「自国育成選手」となる付加価値があったのですが、すでに21歳の浅野選手はこれに当てはまりません。
そして、2001年にガンバ大阪から加入した当時の日本代表MF稲本潤一選手(現・コンサドーレ札幌)のようにレンタル移籍での加入でもありません。アーセナルは5億円という移籍金を浅野選手の獲得に支払います。ピッチ内での成績はさておき、バイエルン・ミュンヘンと並んで長年に渡って黒字経営を続ける欧州1,2を争う「超優良企業」でもあるアーセナルからすれば、確かに5億円は大金ではありません。しかし、彼等はGK不足だった2010年に当時のフラムに所属していたプレミアリーグ経験が豊富なオーストラリア代表GKマーク・シュウォーツァー選手(今季はレスター所属)の獲得へ動いた時、約5億円の移籍金にプラス1億円を積めば合意に達した交渉で、その1億円を出し渋って破断にしたようなクラブです。つまり、浅野選手への5億円の投資はクラブとしての覚悟も見えるのです。
ただし、それは浅野選手を”大人の選手”として見ている証明でもあります。
アーセナルはEURO2016でベスト4に進出した3カ国に計4選手を派遣しています。フランスのジルー選手とコシールニー選手以外にも、ドイツ代表MFメスト・エジル選手とウェールズ代表MFアーロン・ラムジー選手です。準決勝に敗れたドイツはエジル選手を封じられ、ラムジー選手が出場停止だったウェールズはその不在の代償を払わされて敗れました。欧州最高峰の舞台でその活躍具合が勝敗に直結する選手が揃っているクラブ。それもアーセナルなのです。
だからこそ、浅野選手には新シーズンにどこでプレーする事になっても結果が求められます。
その上で筆者が懸念する事は、リオ五輪への参戦でシーズン前のキャンプに全く合流できない事です。休養もなしに欧州クラブへ合流するため疲労もあるでしょう。高校での英語の成績は、「欠点ギリギリだった」言葉の問題も含めて、環境への適応にも苦しむでしょう。
しかし、小学生や中学生の頃から、「悪戯をして隣近所に謝罪しに行ったのに、逆に仲良くなって帰って来る」という事が多かった浅野選手の社交性とキャラクターなら大丈夫でしょう。
浅野選手の笑顔は多くの人を幸せにする力が備わっています。イングランドであろうと、オランダであろうと、ドイツであろうと、彼の笑顔とジャガーポーズが日本だけでなく世界へ浸透するように、筆者も応援したいと思います。
by ひろスポ!
尚、浅野選手の成長の軌跡に関しては、こちらをご覧ください。
飛ぶ鳥を落とす勢い!サンフレッチェ広島FW浅野拓磨の「進化論」