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37歳で2年連続フル出場!横浜F・マリノスDF中澤佑二のキャリア

中本宏樹

2015/12/03 08:00

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日本代表のDFとして2006年のドイツワールドカップ、2010年南アフリカワールドカップに2度出場し、主力選手として戦いました。
輝かしいキャリアの持ち主のように見えますが、小・中・高校と全国大会はおろか地域選抜とも無縁なキャリアを歩んでいました。

自著である『下手くそ』の中で、「自分ほど下手くそだったJリーガーはいない」と記すほどサッカーが上手ではなかったそうです。

そんな中澤選手が2015シーズンに2年連続フル出場記録を作り、さらにJリーグ500試合を達成しました。
ここで彼が歩んできた栄光と挫折のキャリアを簡単に振り返ってみます。

プロ入り〜ヴェルディ入団のキャリア

高校卒業後、プロからの誘いがなくサッカー選手になる夢を諦められなかった中澤選手は、卒業後の1996年、ブラジルへサッカー留学へと旅立ちます。
帰国後の翌年、Jリーグの各クラブに「練習生でもいいからプレーを見てください」と手紙を書いて猛アピールしました。

その結果、母校である埼玉県の三郷工業技術高等学校サッカー部とヴェルディユースの練習試合に18歳と偽って参加し、得点を挙げる活躍でアピールすることに成功。
これがキッカケとなりヴェルディの練習生としてチームの練習に参加し、1999年にプロ契約に漕ぎ着けると、身長の高さを評価されてレギュラーを勝ち取りました。
この年にはリーグの新人王を受賞し、さらにはシドニー五輪代表にも選出され日本代表へと一気に駆け上がるシンデレラストーリーの主人公となりました。

ちなみに、中澤選手のトレードマークであるボンバーヘッドはヴェルディの練習生時代に目立つためにそのような髪形にしたらしいです。
確かに遠目からでも「中澤選手だ!」と分かりますし、スタジアム観戦する際には結構目立っていますよね。

中澤佑二1
ヴェルディ時代の中澤佑二選手by Verdy Players File

マリノス移籍後のキャリア

横浜F・マリノスには2002年に移籍し、2003年と2004年にJリーグ2連覇を達成する主力選手として活躍。2004年にはJリーグベストイレブンと最優秀選手(MVP)を受賞し、マリノスの黄金時代を築きあげました。

日本代表ではジーコジャパンや岡田ジャパンに召集され、特に2010年に行われた南アフリカワールドカップでは闘莉王選手(現・名古屋グランパス)と一緒にセンターバックのコンビを組み2002年の日韓ワールドカップ以来となる決勝トーナメント進出を大きく貢献をしました。
大会期間中、強豪国に対してもヘディングの高さとディフェンスの技術力で日本の守備に安定さをもたらしていました。

現在では、主にJリーグでしか見ることはできなくなってしまいましたが、マリノスの試合でも同じく安定感をチームにもたらしておりベテランらしくチームを鼓舞し続けている姿が見受けられます。

このように、実績を積み上げた中澤選手はJリーグの中でも高額年俸選手としても有名で、その額は年俸1億2000万円(推定)と言われています。
平凡でどこにでもいるサッカー少年が下積み時代を経てこれだけの評価を受けるのはとても夢のある話ですね。

中澤佑二2
2004年、MVPを受賞する中澤佑二選手by サッカーダイジェストWeb

Jリーグ通算500試合達成

その後、順調にJリーグの出場記録を伸ばし続け2015年10月17日のJ1リーグ・セカンドステージ第14節のヴィッセル神戸戦で先発出場し、J1通算500試合を達成。
リーグ最終節の松本山雅FC戦には2年連続で全試合フルタイム出場という偉業を成し遂げました。

37歳という年齢にもかかわらず衰えは見られず、今季は一度も警告を受けず全試合に出場しました。
今シーズン、横浜FMは32失点でしたが、これは30失点のサンフレッチェ広島に次ぐリーグ2位の数字で堅い守備力があることを証明しました。

センターバックとしてシーズンを通して怪我もせずピッチに立ち続け、更にはイエローカードを1枚も受けずにシーズンを戦い抜くのは至難の業なだけに2年連続のフルタイム出場と、リーグで2番目に少ない失点数を同時に実現したのは長年の経験とベテランならではの技術の高さでしょう。
これからもサポーターに愛されベテランの鏡としてチームを支えていく選手です。

中澤佑二3
by Instagravity

プロフィール

中澤佑二
所属 横浜Fマリノス
1978年2月25日生まれ
埼玉県出身
187㎝・78キロ
AB型

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