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J1復帰へ鍵を握る名古屋の顔、田口泰士選手

近藤泰樹

2017/09/22 08:24

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昨シーズン、クラブ史上初のJ2降格となってしまった名古屋グランパス。2010年にはJ1初優勝を経験し、J1トップクラスの予算規模を誇るクラブも、近年相次ぐ強豪クラブのJ2降格の流れには抗えませんでした。

そのチームの中心選手として、そしてキャプテンとして誰よりも強く責任を感じていたであろう選手がプロ入り以来名古屋一筋の田口泰士選手です。

今シーズン、1年でのJ1復帰を果たすべく川崎フロンターレを強豪に育て上げた風間八宏新監督を迎え入れました。しかし、第33節を終了時点で6位と思うような結果が残せていません。

残り9節となりJ2もラストスパートとなりました。J1復帰に向けて鍵を握る名古屋グランパスの顔、田口泰士選手(以下田口選手)のキャリアをまとめてみました。

代役から日本代表へ

1991年沖縄で生まれ育った田口選手でしたが、高校は千葉県の名門・流通経大柏高校に入学します。2年生時には、エース大前元気選手(現大宮アルディージャ)らとともに高校サッカー選手権優勝を成し遂げます。

その後、高卒で名古屋グランパスに入団。しかし、当時の名古屋グランパスの選手層は厚く試合に出ることのできない日々が続きました。

そんな中、プロ3年目の2012年に転機が訪れます。入団以来トップ下としてプレーしてきましたが、当時コーチを勤めていたボスコ氏の提案によってボランチへコンバート。

さらにケガ人が続出するチームでレギュラー選手の代役として試合に出場するチャンスが巡ってきたのです。そこで見事結果を出した田口選手は、当時監督を勤めていたストイコビッチ監督に「まるで日本のシャビのようだ。」と言わしめました。

これを足がかりに順調に結果を残していった田口選手は、2014年にはまたしてもケガ人の代役としてアギーレ監督の率いる日本代表へ招集され試合にも出場しました。


by Youtube(【日本代表豊田合宿】 11/12 田口泰士インタビュー)

背番号7、そしてキャプテンに

日本代表も経験し、まさにチームの顔となりつつあった2014年。長年、名古屋グランパスの背番号7を背負い生え抜きとしてチームを引っ張り続けてきた中村直志選手が引退となります。

12年間、他の選手が着ることのなかった名古屋グランパスの背番号7。誰がその後継者となるのか注目されましたが、中村直志選手自らが田口選手に打診をしました。2014年のホーム最終戦、中村直志選手の引退セレモニーの際、一人号泣する田口選手の姿があるなど関係性が伺えました。

こうして2015年から背番号7を背負いまさに名古屋グランパスの顔となった田口選手。何度かケガに悩まされながらも中心選手としてチームを牽引しました。

そして2016年にはついにチームのキャプテンとなります。

悪夢のJ2降格

キャプテンとなり迎えた初めてのシーズン。序盤こそチームは好スタートを切るもののすぐに失速。途中ケガによる離脱もあり、チームも5月以降全く勝つことができず、8月に監督が交代し迎えた2ndステージ第10節FC東京戦。

普段以上に気合いの入っていた田口選手の強烈なミドルシュートのこぼれ球を押し込んだ1点をリードしたまま迎えた84分、相手選手とキーパーが一対一となる絶体絶命の大ピンチを田口選手が後ろからスライディングでブロックをし、ゴールを免れチームメイトに怒りを込めた雄叫びをあげる姿はまさにキャプテンの責任感の現れでした。

その後もチームを鼓舞し続けましたが、最終節湘南ベルマーレ戦に敗れJ2降格が決定。ホームに詰め掛けた大勢のサポーターへシーズン最後の挨拶。

その目には、涙が浮かんでいました。

チームをJ1へ

J2降格となり、多くの主力選手が他チームに移籍する中、当然田口選手にもいくつかJ1クラブからのオファーの噂もありました。移籍が濃厚といった報道もありましたが田口選手が下した決断は残留。

今シーズンは、自らのプレーに専念するためかキャプテンこそ譲りましたがチームの大黒柱であることには変わりません。

1年で必ずJ1復帰へとスタートし、期待通り田口選手はJ2離れした技術を見せるもチームの成績は安定せず、自動昇格となる2位からも離されてしましました。

この苦しい状況を打破できるのは生え抜きで誰よりもチームを愛する田口選手ではないでしょうか。

残り9試合、名古屋グランパス・田口選手から目が離せません!

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