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中田英寿 日本サッカー界の歴史を塗り替え続けた不世出のMF

編集部I

2018/06/30 10:32

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元サッカー日本代表の中田英寿。1977年1月生まれの彼は、引退してからすでに10年以上の月日が経っている。それでもなお、事あるごとに再評価され、称賛を浴びる不世出の選手だ。

マイアミの奇跡、日本初のW杯出場、セリエA優勝に貢献……勝負強さ光る華々しいキャリア

中田のキャリアは若い頃から華々しく、サッカーファンの記憶に残るプレイは枚挙にいとまがない。

1977年1月生まれ、山梨県甲府市出身の中田は、サッカーの名門である山梨県立韮崎高校に進学。2年生の時に冬の全国高校サッカー選手権へ出場する一方、年代別の日本代表として世界大会で活躍。学業の成績も抜群で「当時の数学の先生なんて、解答用紙から中田の名前を消して模範解答ですって配ったこともある」(『Sports Graphic Number』04年4月29日号、特集「中田英寿『NAKATA百景』」内の友人コメントより抜粋)という逸話もある。

高校卒業が近づくにつれてスカウトが殺到し、当時Jリーグに加盟していた12クラブ中11クラブによる争奪戦の末、ベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)へ95年に入団。同チームで主力にのし上がる。そして96年のアトランタ五輪では、西野朗監督の指揮のもと、ブラジル代表に1-0で勝つ”マイアミの奇跡”の立役者となる。

その後、フル代表の常連に。日本が初めてW杯に出場する原動力となり、1998年6月に開催されたフランスW杯のグループリーグ3試合に出場を果たす。W杯後、イタリア・セリエAのACペルージャ(現:ペルージャ・カルチョ)へ移籍。21歳の中田はリーグ初戦で、ジネディーヌ・ジダンらを擁し、世界最高峰のチームとの呼び声もあったユベントスFCを相手に2得点を叩き出す。衝撃のデビューを飾り、世界に“NAKATA”の名を轟かせた。

日韓W杯でベスト16進出、伝説のユベントス戦で豪快ミドル弾……引退後は旅人に

輝かしいスタートを切ったセリエA1年目は、33試合に出場して10得点4アシストという成績を収め、チームのリーグ残留に貢献。翌シーズン途中の00年1月、ASローマへ移籍し、イタリアの至宝フランチェスコ・トッティとポジションを争った。クラブでの活動と並行して日本代表でも活躍。シドニー五輪(ベスト8進出)や日韓W杯(ベスト16進出)にも出場して大車輪の活躍を果たし、日本代表の輝かしい記録のそばにはいつも中田がいた。

キャリアのハイライトの一つが、2001年5月のユベントス戦。リーグ優勝の行方を左右する同一戦で後半65分にピッチへ送り出された中田は、豪快なミドルシュートの1得点と、ヴィンチェンツォ・モンテッラの得点を引き出すミドルシュートで2得点を演出。値千金の引き分けをもぎ取り、同シーズンにおけるローマの18年ぶりのスクデッド獲得に貢献する。その後はパルマAC(現:SSDパルマ・カルチョ1913)やボローニャFC、ACFフィオレンティーナ、プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズFCで活躍した。

終幕は2006年のドイツW杯。中田自身、3度目となるW杯でグループリーグ3試合に出場するも、1分2敗を記録。特にブラジルとの最終戦では1対4と大敗を喫し、芝生のピッチの上に倒れ込む。そして7月3日、自身の公式サイト「nakata.net」にて現役引退を発表。サッカー界から離れて世界を放浪し、現在は主に実業家として国内外で活動している。

中田の代名詞 視野の広さから生まれる”キラーパス”

中田のランニングフォームは、前傾姿勢になりがちなところ、体を起こし、背筋を真っ直ぐするのが特徴だ。首を左右へ始終動かし、フィールドプレイヤーを体のより高い位置から確認する。そうした視野の広さから生まれるスピードの速いスルーパスは、敵のDFラインの裏を突く鋭い「キラーパス」だと称されたものの、受け手の高い呼応能力が要求され、味方が追いつけないこともしばしばだった。だがひと度パスがつながれば、決定的なチャンスになり、対戦チームの脅威となった。

傑出したトータルバランス 世界選抜の常連

キラーパスとともに注目されたのがフィジカルだ。セリエAの屈強な肉体の選手たちのチャージを受けてもなかなか倒れないボディバランス、試合の最後まで走るスタミナ。現代でも重要視されるフィジカルが、中田はずば抜けて強かった。

さらに中田は、そんな強靭なフィジカルに加えて、シュートやパス、トラップなどボールを扱う基礎技術の精度が高い。足が速い、フリーキックが上手い、ドリブル突破が得意など一芸に飛び抜けた選手も魅力的だが、中田は知性や精神力、技術、体力をハイレベルで兼ね備え、FKやミドルシュート、ドリブル、スルーパスなどあらゆるプレイの完成度が高い選手だった。

高いレベルの基礎技術をもとに、ピアチェンツァ・カルチョ戦で見せたオーバーヘッド(98年)、01年のコンフェデレーションズカップ・オーストラリア戦でゴールネットに叩き込んだ低弾道高速FK(01年)、ローマのリーグ優勝がかかったユベントス戦で決めたミドルシュート(01年)などファンの脳裏に残るゴールをいくつも生み出している。

文字通り世界トップクラスの選手であり、現役時代は世界選抜の試合に幾度となく招待されている(引退後も世界レジェンドの一員としてチャリティー試合などに出場)。「中田のプレイ、見たことないぞ!」という方は、巷にあふれる中田の映像をぜひご覧頂きたい。10年以上前に活躍した選手とはいえ、中田のレベルの高さに驚くはずだ。

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