2017年11月13日、“カルチョ”が世界地図から消えた。
ワールドカップ欧州予選プレーオフ第2戦。アウェイの地で第1戦を0−1と落とし、サンシーロでスウェーデンを迎えた一戦。 ワールドカップに出場するためには何としても勝たなければならない試合。90分の激闘の終了を告げるホイッスルが鳴り響いた時、スコアボードに映し出されたスコアは0−0。2選合計0−1でカルチョの国は60年ぶりにワールドカップ出場を逃した。
不運に見舞われた欧州予選
イタリアにとっては不運の連続と言える欧州予選だった。
グループ1位ではないと自動的に出場権を得られない厳しい欧州予選の中、強敵スペインと同組という抽選結果は、決まった当初から“死のグループ”と呼ばれていた。結果、イタリアはグループ2位という形でプレーオフに回る事を余儀なくされる。
ホーム&アウェイ方式の2戦合計のスコアで競われるプレーオフ。対戦する可能性のある4チームの中で最も難敵であるスウェーデンを引き当ててしまう。ここまで抽選結果に恵まれない事もじつに稀であった。
それでも難敵スウェーデンを打ち破り、ワールドカップ出場権を得るためイタリアは一丸となって戦った。
第1戦、圧倒的に試合を優位に進めながらもゴールを奪うことはできず、盤石の守備を誇っていたにもかかわらず、シュートがDFの足に当たり、名手ブッフォンは軌道が変わったボールの逆を突かれるという“不運”なかたちで失点をしてしまった。
第2戦、ホームで何としても得点を挙げなければならないイタリアは怒涛の攻撃を仕掛ける。90分を通し、成功したパスの回数はスウェーデン117本に対しイタリアは631本。ボール支配率は75%対25%、浴びせたシュートの雨は23本。圧倒的という言葉では足りないほど完全に試合を支配していた。しかし、無情にもボールがゴールに収まることはなかった。
結果、本大会出場の道は断たれてしまった。60年前、本大会出場を逃した大会がスウェーデン大会だったことはなんとも因果なことだろうか。
ベテラン達から新世代へ
2006年のドイツワールドカップ優勝以降、国際舞台で成功を収められていないイタリア。近年徐々に競争力を取り戻し、是が非でもワールドカップで成功を収めたかったはずだ。12年ごとに決勝の舞台に駒を進めているというジンクスの後押しもあったが結果は出場すら許されない形となった。
とりわけキャプテンであるジャンルイジ・ブッフォンは自身6度目のワールドカップという偉業に向け、そして最後のワールドカップにむけて野心を燃やしていただろう。
敗戦という結果を前に大粒の涙を流し、こうコメントを残した。
『とても失望しているが、それは僕にとってではなくイタリアフットボール界にとっての失望だ。国にとって重要なことを成し遂げられなかったことにとても後悔している。』
『でも必ずイタリアには未来があると信じている。必ずまた這い上がって自らの足で立ち上がれると信じている。』
『僕にとって最後の代表選がワールドカップ出場を逃す結果となって恥ずかしい。前々から言っていた通り、僕は代表を去ることになる。しかしこれまで素晴らしい旅だった。共にこの旅を共有してくれた皆にハグを。』
奇しくも、彼がイタリア代表デビュー戦を飾ったのは1998年フランスワールドカップ出場を懸けた欧州予選プレーオフであり、同じく欧州予選プレーオフでその長い旅を終えることになったのもまた一つの因果かもしれない。
Venti anni fa è cominciato un sogno che non è ancora terminato. Viverlo è una fortuna. Esserne protagonista, un privilegio. Grazie a tutti! pic.twitter.com/uUVoT7X74U
— Gianluigi Buffon (@gianluigibuffon) 2017年10月29日
屈辱を糧に、再起を。
偉大なるキャプテンが言葉を残したように、これからを担う若手がこの屈辱から再び立ち上がることを信じたい。
ブッフォンを中心とするイタリア代表の主力は高齢化が進んでいた。イタリアサッカー界はこれから世代交代という大きな改革をしなければならない。しかし、この屈辱を糧にする若い力が奮起するだろう。
まだ10代でありながらミランの守護神を務めるドンナルンマもブッフォンと同じく“ジャンルイジ”の名を持つ。
この屈辱の敗戦が親善試合以外での代表デビュー戦となったナポリMFジョルジーニョもこれからが期待される逸材だ。
イタリアは逆境を跳ね返す力を持っている。2006年ワールドカップ期間中、大スキャンダル“カルチョーポリ”の火種から煙が立ち上った時、チームは一丸となり優勝という形で答えを出した過去が証明している。
この屈辱から再び立ち上がり、世界地図から消えたカルチョという名が、再び世界の中心として記される日が来ることを、私は信じている。