鹿島MF柴崎岳のスペイン2部テネリフェへの移籍決定~現実的ながらエレガントなテネリフェ
昨季の明治安田生命Jリーグチャンピオンシップを制した鹿島アントラーズは、FIFAクラブW杯でも準優勝。敗れはしたものの、決勝では欧州王者のレアル・マドリーを相手に一時は逆転し、延長戦に持ち込んで世界を驚かせました。
相手には世界最高選手にも等しいバロンドールに4度目の選出を受けたばかりのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド選手を筆頭に世界選抜のような大物選手が並ぶ中、鹿島の10番=MF柴崎岳選手がセンセーショナルな2得点を挙げました。
柴崎選手にはそのレアル・マドリーも所属するスペインリーグからの関心が寄せられ、当初は1部リーグのラス・パルマスへの移籍が報じられていましたが、欧州の移籍市場最終日となる1月31日に2部のテネリフェへの加入が発表されました。
冬でも20℃を越える日も多いテネリフェ島。欧州中から年中観光客がやってくる。by 4travel
真冬でも25℃を越えるリゾート地=カナリア諸島が誇る『島のクラブ』
柴崎選手が加入する事になったCDテネリフェ(Club Deportivo Tenerife)は、1912年に創設。
スペインやポルトガルで形成されるイベリア半島から南西に約1500km離れた北大西洋に浮かぶカナリア諸島のテネリフェ島サンタ・クルス・デ・テネリフェに本拠を置く『島のクラブ』です。
7つの島で形成されているカナリア諸島にあって地理的には真ん中部分に位置し、東側にはグラン・カナリア島があります。グランカナリア島最大の街には、柴崎選手加入の噂があったラス・パルマスがあり、彼等との対戦は”カナリア諸島ダービー”として大きな盛り上がりを見せるのですが、それが1部リーグでは歴史上2001-2002の1シーズンのみしか実現されていません。
人口はラス・パルマスが約40万人程の街なのに対して、サンタ・クルス・デ・テネリフェは約半分の20万人を超えるほど。ただ、どちらの島も真冬のはずの2月でも25℃まで日中の気温が上がるため、ドイツやスウェーデンなど欧州中から観光客がやって来るリゾート地です。
地理的にはスペインよりも北アフリカのモロッコの方が近く、年中強い日差しのおかげでバナナやサボテンが育つ気候。温暖な気候は人をも大きくするようで、先住民のグアンチェ族は平均2mを越える巨人揃いだったようです。
スペインらしいパスサッカーが伝統のカナリア諸島のスタイルに対して、戦術的なテネリフェ
テネリフェは後にレアル・マドリーとバイエルンでCL優勝を果たすハインケス監督など、名将の系譜を辿る監督が率いる事が多い。(写真はバイエルンで3冠を達成した2013年)by chinadaily.com.cn
そんな気候や雰囲気が牧歌的な土地では、古き良き時代のラテンスタイルのサッカーを志向して来ました。インサイドキック以外は使わない事で有名だったMFカルロス・バルデラマ選手を擁したコロンビア代表のようなショートパスの連続によるパスワークで崩すサッカーです。
現地の人々はそれを”柔らかいサッカー”と表現します。ある意味、バルセロナよりもスペインらしいパスサッカーを伝統的に志しているのがカナリア諸島のチーム。ラス・パルマスがそのようなスタイルを踏襲しているのに対して、テネリフェはやや戦術的なサッカーを展開します。
それでもエレガントなプレーも求められるのですが、その象徴的な選手は1990年から1994年までプレーしたアルゼンチン代表MFフェルナンド・レドンド選手。堅実なプレーの中にも高度なテクニックを織り交ぜるエレガントな選手で、後にレアル・マドリーでUEFAチャンピオンズリーグを制覇してレジェンドとなるボランチです。現在のボランチの役割のパイオニア的な役割を担った選手とも言われています。現実的ながらエレガントなプレーも求めるのは鹿島と似ている部分もあるはずです。
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そんなテネリフェは1990年代にホルヘ・バルダーノ氏、ユップ・ハインケス氏という名将が率いた時代があり、彼等は共にクラブ史上最高位となる1部・5位という好成績を挙げ、前者はUEFAカップ(現・UEFAヨーロッパリーグ)でベスト16、後者は同ベスト4に躍進させました。そして、この2人はテネリフェからレアル・マドリーの監督へと引き抜かれました。
その他にもジョゼップ・グアルディオラ監督(現・マンチェスター・シティ監督)が「師匠」と仰ぐファンマ・リージョ氏(現・セヴィージャのヘッドコーチ)や、ラファエル・ベニテス氏など、戦術家として名を馳せる名監督が指揮する事が多いクラブで、欧州の舞台での実績で考えると1949年創設のラス・パルマスよりも37年も老舗のテネリフェが凌駕しています。ただ、1部リーグ在籍期間で考えると、テネリフェが僅かに13シーズンであるのに対して、ラス・パルマスは34シーズン目を今季も1部で過ごしています。1960,70年代にはスペインリーグで2位や3位になるなど黄金期を迎えていたラス・パルマスに対して、90年代はテネリフェが黄金期を迎えていたに過ぎないのです。
そんなテネリフェは近年3部リーグへの降格も経験するなど低迷期。しかし、今季は全42試合制の現在23試合消化時点で、1部昇格プレーオフ圏内の6位に位置しています。
レアル・マドリーでCLを制覇するMFレドンドはテネリフェでもレジェンド的存在。堅実ながらエレガントなプレースタイルはクラブの象徴的存在だった。by Historias del Real Madrid
危惧される柴崎の適性~得点力がないトップ下、守備力が難のボランチ
柴崎はクラブW杯で2列目でプレーしてレアル・マドリー戦で2得点を挙げた事がアピールに繋がったが、それが悪い方向に転ぶ可能性も。by Jleague.jp
ただ、柴崎選手に関して少し気掛かりなのは、ラス・パルマス「プランB」として獲得に動いた、という一連の報道。なぜなら、柴崎選手よりも優先して獲得を狙った「プランA」の本命とは、フランスのパリ・サン・ジェルマンに所属していたスペイン人FWへセ・ロドリゲス選手だった事。カナリア諸島出身で、レアル・マドリーで育ったへセ選手は典型的な点取り屋ではありませんが、得点力の高い2列目のアタッカーです。
柴崎選手とは全く違ったプレースタイルや特徴、ポジションの選手が本命となったのは、クラブW杯での柴崎選手が2列目でプレーしており、レアル・マドリー戦で2得点を挙げたからだと考えられます。おそらく、スペインのクラブやメディアは柴崎選手の事を、「得点力のある攻撃的MF」と位置付けているのでしょう。その2得点が左足で決めたからか?利き足も左になっているほどです。
もっとも、なぜ本来はボランチの柴崎選手がCSやクラブW杯で2列目でプレーしていたか?実際は湘南ベルマーレから移籍して来ていたMF永木亮太選手に鹿島でもボランチのポジションを奪われかけていたから。ボランチとしてはフィジカルや守備の能力が低く、トップ下としては得点力が低い。それがそのまま日本代表からも遠ざかっている大きな理由でもあります。
ただ、このジレンマを乗り越えた時、柴崎選手は長らく選外が続いている日本代表への復帰・定着だけでなく、一気に代表でもレギュラーの地位にまで登り詰める事になるでしょう。
そして、柴崎選手が最も注意すべきはこのカナリア諸島の環境。筆者が現地滞在時に説明を受けた現地人のおじさんは、「この気候のおかげで何でも育つから、この島出身の女の子は歯が生え揃う前にオッパイの方が大きくなるんだ」と、セクシャルジョークをかましておられました。所謂、ヌーディスト・ビーチと呼ばれる場所もあります。最近の芸能界でお騒がせのハニー・トラップには最大限注意していただきたいです。