7度目の準優勝の川崎フロンターレ~記録ではなく、『記憶に残るチーム』の魅力とは?

 元日に大阪府・市立吹田サッカースタジアムで行われた天皇杯決勝。52年ぶりに関西で決勝が開催された今大会は、鹿島アントラーズが同大会6年ぶり5回目の優勝で幕を閉じ、明治安田生命J1リーグに続き、2016年シーズンを2冠で締め括りました。

 一方、決勝でその鹿島に延長戦の末に敗れた川崎フロンターレ。天皇杯ではクラブ史上初の決勝進出で悲願のクラブ史上初タイトルが期待されましたが、J1リーグで3度、YBCルヴァンカップ(旧・ヤマザキナビスコカップ)で3度に続き、7度目の準優勝に終わりました。

 すでに約5シーズンに渡って指揮をとって来た風間八宏監督の今季限りでの退任が発表されており、2013年から2015年まで3年連続のJ1リーグ得点王を獲得して来た元日本代表FW大久保嘉人選手も退団(後にFC東京への完全移籍発表)を明言していた川崎。

 この天皇杯決勝はクラブにとっての1つのサイクルの集大成を有終の美で飾るはずが、またしてもクラブ史上初のタイトル獲得には至りませんでした。

 「Jリーグで最も美しく、面白いサッカー」とサッカーファンからだけでなく、サンフレッチェ広島で今季のJ1得点王に輝いた元ナイジェリア代表FWピーター・ウタカ選手を筆頭とする他クラブの選手達からも称賛を受ける川崎。

 その魅惑の攻撃サッカーで優勝争いの常連になりながら、「タイトルとは無縁の強豪」。それでも彼らはなぜ、ここまで高く評価されているのでしょうか?


CS準決勝に続いて天皇杯決勝でも鹿島に敗れた川崎。7度目の準優勝となった。by Jleague.jp

ボール支配率に見える如実な変化

 風間監督が指揮した5シーズンの間に、川崎のサッカーは「ボール支配率」の変化を見れば如実に出ている通り、そのパスサッカーに特徴があるのは一目瞭然です。就任当初は50%に満たない数値が、近年ではリーグトップを争うハイアベレージを記録しています。(下記参照)


川崎や浦和の数値は右肩上がりの傾向を見せる中、鹿島は横這い。G大阪も2013年の長谷川監督就任後に激変。

 さらに、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・浦和レッズ監督)が広島と浦和で植え付けた最終ラインから丁寧に繋ぐ独自のスタイルとは違い、川崎のパスサッカーはアタッキングゾーンでのボール支配の高さに特徴があるため、より攻撃的なサッカーになっています。

 また、ボール支配率の高さでは2013年から4年連続で浦和がトップに立っていますが、パスの本数では4年連続で川崎がトップの数字をたたき出しているのも興味深いデータです。

 「ボール支配率は何も意味がない」とは、「自分達のサッカー」を貫こうとした日本代表が2014年のFIFAブラジルW杯で未勝利のまま惨敗した事で顕著となりました。

 しかし、広島はJ1リーグでは直近5年で3度の優勝を成し遂げ、浦和と川崎もリーグ戦の年間優勝こそないものの、各コンペティションで優勝争いをする常連にはなっています。

日本では異端!即時奪回が可能となったパスサッカー


バルセロナの圧倒的なボール支配率はパスワークではなく、ボールを失った直後の即時奪回が可能にしている。by THE Sun

 日本でパスサッカーやボール支配率と言えば、そのパスワークだけに着目されますが、その筋の世界最先端のサッカーを披露していたジョゼップ・グアルディオラ監督が指揮していた当時(2008-2012年)のバルセロナを分析したドイツの指導者たちは、「あのサッカーはボールを奪われた際の即時奪回に特徴がある」と、バルセロナの守備面を高く評価していました。

 そのボールの独自奪回から一気にゴールに迫るサッカーこそが、「ゲーゲン・プレッシング」や「パワー・フットボール」と呼ばれるドイツ発の新戦術となっているのです。

 日本代表が「自分達のサッカー」に固執した時代、実はそのボール支配率は高くて55%の壁を越えられていません。「自分達のサッカー」に拘っていながら、それほど成熟されたサッカーではなかったのです。

 サッカーとはミスが付き物のスポーツで、まずはそのミスを減らす事が大事ですが、「ミスも想定内」と捉えて戦術やゲームプランを練らなければいけません。

 風間監督が指揮した5年間で、川崎のサッカーはこの過程を全て踏んで来ました。就任当初はパスを「受けて」「出して」「動く」というパス&ムーヴの精度を高め、ボール支配率を上げる事に繋げました。

 そして、ボール支配率が高まってチーム全体が相手陣内に押し込むサッカーが安定して出来た事で、相手陣内でボールを失った際に即時奪回できるポジショニングや選手間の距離間を維持できました。それが可能となって来たのが2015年の後半戦辺りからで、2016年はその集大成として洗練されたサッカーが披露されていました。

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『オリジナル10』ではないクラブのアイデンティティ


まさか!?F1マシンが試合会場で走るとは?オリジナル10ではないが、企業努力が窺える川崎は立派な優良クラブだ。by Yahoo!ニュース

 とはいえ、未だにタイトルを1度も獲得できない事で、「良いサッカーをしても勝てなければ意味がない」と揶揄される事も多い川崎。しかし、それはクラブの立ち位置や起源にも関係があると言えます。

 クラブが前身の「富士通サッカー部」から「川崎フロンターレ」へと改称したのは1997年。そして、当時のJリーグへと初めて参入したのは1999年のJ2リーグからで、1993年に創設されたJリーグでは7年目のシーズンです。

 『オリジナル10』と呼ばれる創設当初の10クラブとは違い、後発のクラブにはただ単に試合に勝つだけでなく、様々な企業努力が必要になって来ます。

 川崎はもちろん、ジュビロ磐田や湘南ベルマーレ、柏レイソル、セレッソ大阪などはすでにオリジナル10のクラブがある都道府県に誕生したクラブで、それゆえの苦労を経験していますが、クラブとしての独自のカラーや拘りを持つ面白いクラブです。これらのクラブが持つアイデンティティはサポーター間でもしっかりと共有される文化になっています。

 同じ神奈川県に横浜(F)マリノスというオリジナル10の伝統的なクラブが存在し、湘南ベルマーレや多摩川を挟めばFC東京も拠点を置く川崎の地。さらに、Jリーグ創設当初の絶対的な強豪であったヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)が存在していても、集客力の観点からホームゲームを国立競技場で開催するなど、川崎は「サッカー不毛の地」とも呼ばれていました。

 そんな環境下にありながら、計算ドリルを作ったり、F1マシンを試合会場で走らせるなど、様々なイベントを行って多くのファンを獲得して来た川崎。それらを企画して来た「サッカー事業部プロモーション部部長」天野春果氏は、2017年から「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」に出向する事になっている通り、各方面から高く評価されています。

『記録に残るチーム』ではないが、『記憶に残るチーム』


タイトルという記録には残らなかったが、「記憶に残るチーム」を作った風間監督が退任。来季からは「記録に残るチーム」鹿島出身の鬼木コーチが監督に就任する。by Jleague.jp

 そんな力強いフロントがいるチームのサッカーが面白くないわけがありません。

 初めてJ1へ昇格した2000年シーズンこそ、1年でJ2降格に至りましたが、2005年に再昇格後はJ1でも2011年の11位以外は全て一桁順位を維持し、優勝争いでも常連の主役級のチームとなっています。本当はJ1に定着しているだけでも偉業なのに、今ではタイトルの有無を揶揄されているのは、ある意味では揶揄ではなく称賛と捉えられるのかもしれません。

 2004年から6シーズン(1度は不整脈で退任)に渡って指揮した関塚隆監督体制の頃から常に攻撃的なサッカーを貫いて川崎ですが、当時はジュニーニョ選手やチョン・テセ選手(現・清水エスパルス)、レナチーニョ選手のような圧倒的な個人能力を持つ外国籍FWに頼ったサッカーでもありました。

 そのような「勝つだけでは意味がない」事を知った川崎は、風間監督の下で日本人選手が主役として展開するサッカーを熟成させて来ました。2015年の夏に、それまで左サイドからの攻撃に関してはほぼ一任されていたFWレナト選手が中国の広州富力に爆買いされて以降、そのサッカーはさらに「和」のテイストを強めましたが、それによって2016年の完成度が高いサッカーが構築されました。それでも川崎はタイトルが獲れませんでした。

 来る2017年シーズン、川崎には少なからず変化が起こるでしょう。「変化が必要な時だ」と言われれば、確かにそうかもしれません。サポーターにとって、今までタイトル獲得よりも大事にして来たモノが変わる時も来るかもしれません。

 そんな時どうすればいいか?それはいつまでも今の選手達や監督が体現して来たサッカーを覚えていてあげる事です。それが愛情の形ではないでしょうか?

 「勝つだけでは意味がない」事を知っている川崎フロンターレというクラブ、チーム、サポーターはその愛情表現が得意な人達の集団だと思います。若くて新しいファンが出来た時、明らかに初めて現地観戦をしているようなファンと出会った時、大切にして来た1枚の写真から当時の事を彼等に話してあげられる。

 タイトルを獲れば「記録に残るチーム」になりますが、川崎フロンターレのような「記憶に残るチーム」には現在も熱心に応援しているサポーターの存在が大切です。

 実際、2016年シーズンのJリーグMVPをMF中村憲剛選手が受賞しているように、確かに川崎のサッカーは記憶に残っています。あとは、バルセロナでのMFシャビ・エルナンデス選手(現・アル・サッド/カタール)が中村選手で、MFアンドレス・イ二エスタ選手がMF大島僚太選手だとすれば、”川崎のメッシ・ミヨッシ”こそMF三好康児選手が、リオネル・メッシ選手のように育つのを見守るだけです!

 そして、タイトルを獲れなかった事は悔しいですが、その悔しさはこうして受け流しましょう!

 「『記録』は鹿島アントラーズさんに任せて、我々は『記憶』に残るサッカーをしていますから!」

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