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「神戸が最高順位で終えたシーズンに引退できて幸せ」と語るDF相馬崇人のこれまでの歩み

山岸 典

2016/11/25 21:01

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2016年11月10日にヴィッセル神戸所属の相馬崇人選手が今シーズン限りでの現役引退を発表されました。左サイドから繰り広げられる制度の高いクロスや、時より見せる強引なドリブル突破からのシュートが印象的な選手でした。海外でもプレー経験のある相馬選手が現役生活14年間で積み上げたキャップ数は「260」。これまでの経歴を振り返ってみたいと思います。

出場機会をものにしてレギュラーを掴む

01_%e7%9b%b8%e9%a6%ac%e5%b4%87%e4%ba%baby 錯乱の扉

相馬崇人選手は1981年生まれの神奈川県川崎市出身。主に左サイドバックを主戦場としてプレーされてきました。東京ヴェルディ1969ユース(現:東京ヴェルディ)、国士館大学を経て2004年に東京ヴェルディ1969に入団。ヴェルディユースと言えば、リオデジャネイロオリンピック日本代表の中島翔哉選手などを輩出しており、育成が充実していることで知られています。

相馬選手が入団した東京Vはブレ球のフリーキックや正確無比なクロスを供給できる三浦淳宏選手が左サイドバックのレギュラーを務めていました。控えに甘んじる時期が続いていましたが、三浦選手が日本代表に招集されチームを離れた時にレギュラーの座を奪還します。相手がついてきても小刻みな俊足ドリブルで振りきって、左足から無造作にクロスを放り込むスタイルが当時監督を務めていたアルディレス監督から高い評価を得ました。「クロスを上げる時、仲間のことは見てないですね。俺に合わせろって感じです」と言うように自ら得たチャンスをものにした相馬選手は自信を持ってプロ1年目を過ごしていました。
翌年の東京VのJ2降格に伴い、2006年から浦和レッズに移籍します。加入当初は三都主アレサンドロ選手の控えに回ることが多かったものの、徐々に出場機会を増やし、2007年からはレギュラーに定着。当時日本代表監督を務めていたオシム監督から日本代表候補に選出されるまでに成長を成し遂げました。

念願の海外移籍が実現

02_%e7%9b%b8%e9%a6%ac%e5%b4%87%e4%ba%baby 海外プロサッカーリーグで活躍する日本人

相馬選手は2009年に浦和レッズからポルトガル1部のマリティモに入団し、リーグ戦27試合に出場。かねてから思い描いていた「海外移籍」という大きな目標を実現させます。その背景には浦和退団から移籍先が見つからず、自ら渡欧して契約を勝ち取るという相馬選手自身の大きな努力が実っての移籍でした。そして更なる活躍の場を求めて翌年ドイツ2部のコットブスに移籍。しかし、環境面の問題などから移籍からわずか半年でJリーグ復帰の決断を選択します。

ヴィッセル神戸へ入団。自身最多の5年半を過ごす

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海外での挑戦を終えた相馬選手は2011年7月にヴィッセル神戸へ移籍します。左サイドバックのレギュラーとして破壊力抜群のドリブルと積極的な攻撃参加でクラブ史上初の1桁順位(9位)に貢献しました。その後は怪我に苦しむシーズンもありましたが、2014年にはキャリア初のキャプテンを経験。そして神戸がクラブ最高順位の7位で終えた今季に「自分自身のなかではやり切った思いがあります。神戸が最高順位で終われたこのシーズンに、最後にプレー出来たことを凄く幸せに思っています」と述べ、引退を決意されました。

自らの行動で海外移籍を実現させたサッカー選手はそんなに多くはありません。
何度も左サイド駆け上がり、時にはには目の覚めるようなシュートを見せてくれた相馬崇人選手、14年間お疲れ様でした!

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