ウイルソンのベガルタ仙台退団に寄せて

先日ベガルタ仙台がウイルソン選手の今季限りでの退団を発表し、ウイルソン選手は仙台を去っていきました。ベガルタ仙台の黄金期ともいえる時期に活躍した選手であり、非常に寂しく感じています。今回は宮城県仙台市出身の筆者が、ベガルタ仙台やウイルソン選手への思い入れについて簡単に触れていきたいと思います。

全てはベガルタ仙台から始まった

筆者がサッカーを始めたのは小学校入学とほぼ同時でした。きっかけは保育園が一緒だった幼馴染一家がベガルタ仙台サポーターで、一緒に仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム仙台)に行ってベガルタの試合観戦をしたことでした。正直対戦相手やスコアは覚えていませんが、ベガルタの勝利でした。今振り返ると、あの時サッカーが好きになった理由は、まず当時J2だったベガルタのサポーターの、特にサポーター自由席に陣取っていた人たちの熱気でしょう。当時はサポーターの熱気からすればJ2にいるのがもったいない、J1にいるべきチームという評価でした。
また仙台スタジアムは球技専用スタジアムで、陸上トラックなどがなくピッチとの距離が近く、スタンドの傾斜も比較的あるのでピッチで行われている試合への一体感をもたらしてくれます。現在Jリーグではガンバ大阪が今年から万博競技場から吹田サッカースタジアムに移り、またサンフレッチェ広島などがスタジアムの新設について議論されていますが、やはり会場の重要性は避けては通れない問題です。
そして何よりベガルタがその試合で勝ったことが大きかったと思います。初めは皆さんもサッカーについて何も知らないところから試合を見てハマっていったことでしょう。もちろん知っている選手、有名で人気のある選手を追いかける形で始まった場合もあるかもしれませんが、一緒に見に行った友達が応援しているチームや地元を本拠地としているチームに肩入れしながら試合観戦をして勝敗に一喜一憂して徐々にサッカーの魅力に気づいていくのではないでしょうか。日本サッカー協会はJリーグを地域に根差したものにしてサッカーファミリーを増やそうとしていますが、筆者自身がその1人であります。

その後小学校低学年の頃は年間チケットを購入してホーム全試合に見に行くようなベガサポであり、一度地元仙台の新聞『河北新報』に取材して頂いたこともあります。(その中で将来はワールドカップに出たいなどと言ってしまったことは良い思い出です。)その後自身が忙しくなってしまったり、前回の記事でも触れたとおりロナウジーニョの影響でバルセロナが好きになりボール保持を志すチームを好むようになったのでベガルタの試合には行かなくなってしまいました。(Jリーグでは西野監督時代のガンバ大阪が好きです。)

しかしそれでもベガルタの試合を見に行くと興奮して胸が熱くなります。試合前のスターティングメンバーの発表の時の鷲が飛んで空気を切る音、そして選手入場時のサポーターによるカントリーロード。一瞬にして身体全体に鳥肌が立ち、これが自分の原点なんだといつも噛み締めてしまいます。

東日本大震災、2011年4位、2012年2位

筆者が中学校卒業を目前に控えた2011年3月、東日本大震災が発生しました。『不動の絆 ベガルタ仙台と手倉森監督の思い』でも記されている通り、ベガルタの選手たちはボランティアに明け暮れまともに練習できないまま4月23日のJリーグ再開を迎えました。筆者もベガルタの練習不足などについては新聞などで知っていましたし、相手はアウェイ等々力競技場での川崎フロンターレということもあったので、正直勝利は期待しておらず、とにかく全国の皆さんに彼らの勇姿を見せてほしい、そしてまた被災地の方々への希望になってほしいという思いを胸にテレビで戦況を見つめていました。

フロンターレのサポーターの皆さんの温かいエールにベガルタのサポーターが応える温かい雰囲気で試合前の時間が過ぎていきました。試合は事前の予想通りベガルタの劣勢で、フロンターレの1点リードで前半を折り返しました。やはりしょうがないかと思いながらもベガルタの選手たちの頑張りへひたすら応援していました。しかし試合は筆者の、そしてフロンターレサポーター以外の人たちの期待をはるかに超える展開となりました。赤嶺真吾選手の横パスを受けた太田吉彰選手が足をつりながらも同点ゴールを決め、その瞬間に鳥肌が立ち目頭が熱くなりました。さらに梁勇基選手のFKに鎌田次郎選手が打点の高いヘディングで合わせ逆転ゴールを決め、ベガルタは勝利を勝ち取りました。


仙台と言えば、東北楽天ゴールデンイーグルスも有名ですが、2013年に日本一に輝いたとは言え、2011年はパ・リーグで6チーム中5位、2012年は4位と18チーム中のJリーグで4位、2位を取ったベガルタよりも順位が低くなっています。確かに楽天の優勝は喜ばしいことで被災地に勇気を与えたとは思いますが、多くのベガルタサポーターが新興球団の楽天よりも先にベガルタに日本一になってほしかったと残念に思っているのは事実です。

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ウイルソンとともに

2011年に手倉森監督のもと“不動の絆”で結ばれたベガルタの選手たちが4位でリーグを終えると、2012年にウイルソン選手が加入しました。ウイルソン選手の加入で攻撃力が向上し前年以上の“堅守速攻”を見せ、赤嶺真吾選手との2トップコンビは歴代最高とサポーターから評価が高いです。リーグ前半戦は快調で首位をキープしていましたが、途中でサンフレッチェ広島に首位を明け渡しそのまま優勝を許してしまいました。サンフレッチェの森保一監督が現役時代ベガルタ仙台に在籍していたことは何か因縁があるのでしょうか。

Jリーグアウォーズでは、ベガルタから優勝のサンフレッチェと並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソンがクラブ初のベストイレブンを獲得しました。ウイルソン選手の活躍とともにベガルタ仙台の大躍進があったと言っても過言ではありません。

ウイルソン選手の来年の去就は未定ですが、再び日本でプレーしてくれることを願っています。

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