夢のCL出場へ。リガFC所属・斎藤陽介選手インタビュー
今回取材させて頂いたのは、斎藤陽介選手です。彼はラトビアサッカーリーグ・ヴィルスリーガに所属するリガFCでプレーしています。
2007年に横浜Fマリノスのトップチームに昇格しプロデビュー。2011年から海外リーグに活躍の場を移しました。
彼は「ピアノマン」のニックネームを持つなど多彩な取り柄を持っています。くわえて、ブログランキングのサッカー選手部門では上位に入るなど、サッカー以外でも注目の斎藤選手。
これまでのサッカー選手としての経歴や今後の目標、ピアノ・ブログ等のサッカー以外の部分までお話を伺いました。
ラトビアヴィルスリーガでプレーする斎藤選手
日本でのプレーを経て2011年に海外へ、2012年にラトビアリーグベスト11
斎藤選手は横浜Fマリノスの下部組織で育ち、2007年にトップチームに昇格。
ツエーゲン金沢を経て、2011年にアルビレックス新潟シンガポールへ移籍されました。海外移籍の想いは強かったのですか?
そうですね。小さい頃から海外移籍は憧れていました。中田英寿さんの影響も大きかったですね。
また、松田直樹選手(元横浜Fマリノス)からの助言も大きかったです。「早く海外へ行った方が良い」と言われていました。
(松田選手は)マリノスのユースに入った中学時代からトップチームで活躍する姿を見てきました。
ユースからトップに上がってからは、スピリットの部分で影響を受けました。ピッチ内外で熱い人でしたね。
2011年8月に亡くなった時は、アルビレックス新潟シンガポールに在籍中で、翌日の試合で決勝ゴールを決めました。
マツさんと最後に会ったのはツエーゲン金沢との契約が終わり、マリノスに戻って練習していた時でした。マツさんからはJFLについて聞かれました。(その後松田選手は松本山雅へ移籍)
(逝去から5年が経った)今でも信じられないです。日本にいればまた会えるのではないかと思っています。
斎藤選手の海外移籍を後押したのはマリノス時代の先輩・松田直樹選手
2012年にはラトビア・ヴィルスリーガのFCグルベネで14試合9得点、ラトビアリーグの強豪FKヴェンツピルスに移籍し17試合6得点。得点ランク2位のシーズン15得点を記録、ベストイレブンにも選出されました。ご自身も手応えのあるシーズンだったのではないでしょうか?
そうですね。海外でシーズンを通して結果が残せたことは良かったと思います。
アルビレックス新潟シンガポール在籍時に代理人の方と知り合ったことがラトビアリーグへ移籍するきっかけでした。
始めはラトビアサッカーのことは知りませんでしたし、小さい頃からの憧れはイタリアセリエAでしたが、外国人枠の関係と当時の自分の現状を考えラトビアへ移籍しました。
(2012年シーズン、2016年シーズンプレー)2年住んだ今ではラトビアでの生活も慣れてきましたね。
2013年からはロシアリーグFCウファ、2014年5月にはベラルーシ・プレミアリーグFCスウツクに移籍。そして2016年に、ラトビアでは3番目のクラブとなるFCリガに所属されています。Jリーグ、JFL、シンガポールSリーグ、ロシアリーグ、ラトビア・ヴィルスリーガで活躍。実際にプレーされてリーグによって、違いや特徴は感じましたか?
サッカーの質は場所によって異なります。
欧州リーグでプレーする選手たちはJリーグに比べてフィジカル、球際が強く、勝負強さもあると感じます。
育った環境が影響しているのではと思います。日本人選手に比べてハングリー精神の面での強さも感じますね。
アルビレックス新潟シンガポール時代の斎藤選手
愛称は「ピアノマン」
ここからは、サッカー以外のお話も聞かせてください。斎藤選手と言えば、「ピアノマン」の異名を持つことでも知られています。ピアノを始められた経緯を教えて頂けますか?
ピアノを始めたのは7歳の時でした。
ちなみにサッカーもこの時期に始めました。
7歳から高校2年生まで続けましたがピアノは趣味としてやっていて、サッカーの方に比重を置いていました。
ご自身のYoutubeチャンネルでも久石譲さんの「Summer」、サザンオールスターズの「いとしのエリー」などを披露されていました。他にもよく弾いていた曲はあるのですか?
エルトン・ジョンの「Your song」は海外選手からの受けも良いですね。
他にはディズニーの曲などその日の気分によって弾いていました。
本田圭佑選手、ネイマール選手などがピアノを趣味にしているサッカー選手として知られています。斎藤選手にとってピアノを弾くことで、サッカーに結びついている部分はありますか?
本田さんも弾いているんですね。
ピアノがサッカーと結びついている部分は無いと僕は思います。
ストレス解消として弾いている感じです。ちなみに今は家にはピアノは置いていないですね。
2015年にクラウドファンディングを使って移籍資金捻出
2015年に斎藤選手は移籍資金捻出のため、クラウドファンディングやキャンプファイアを利用して、移籍資金を調達されましたね。クラウドファンディングの存在はご存知でしたか?また、サッカー選手が海外移籍する際に、懸かるお金はどのようなものがありますか?
インターネットに詳しい知り合いの方がいてその方に紹介して頂きました。
海外だと渡航費や現地での滞在費、食費などの生活費がかさむのでその支援を募りました。
支援してくれた人に対してはお礼のメッセージや、ユニフォームをプレゼントしました。
2015年の期間内に契約は決まらなかったので支援してくれた皆さんにはフォローの連絡を入れさせて頂きました。
今はインターネットに詳しい人が知っているイメージです。今後クラウドファンディングが世間へ浸透していけば、斎藤選手のようにクラウドファンディングを使っての海外移籍を希望する選手は増えてくるのでしょうか?
状況によると思います。
僕の場合は、自分の目指す行き先や方向性、周りからのサポートもある程度整った状況だったからこそ達成できた面はあると思います。
海外に行きたいと思った選手が、ただ海外へ行きたいという気持ちだけで利用するのは厳しい面があるのかなと今は思います。
斎藤選手は自身の好きな本で、スティーブン・R・コ—ビーの大ベストセラー「7つの習慣」を挙げられています。サッカーにおいて、活きている部分はありますか
自己啓発書をマリノス時代から読んでいて、その中の一冊として7つの習慣には出会いました。
マーカーで線を引っ張りながら、今でも気になった部分を読んだりします。
生活の部分からしっかり自分をコントロールすればプレーも良い方向へ行くと思いながら読んでいます。
他には一瞬で自分を変える法(アンソニーロビンス著、本田健訳)もお気に入りです。
日本だと友人もたくさんおり、誘惑が多いですが、海外では読書など自分の為に使える時間が多いですね。
次ページ:人気のブログ、同期の親友、海外でプレーするためについて
ブログが大人気、始めたキッカケはあの選手の影響
また斎藤選手は、ブログを使った情報発信にも積極的ですね。アメーバブログのサッカー選手ランキングでは、3位(7月25日現在)に入っています。ブログを始められたキッカケは、あったのでしょうか?
始めたのはアルビレックス新潟シンガポールへ移籍後でした。
今は京都パープルサンガでプレーされている山瀬功治選手(元横浜Fマリノス)の影響、勧めもあり始めました。
元々文章を書くことが好きだったわけではないですが、1日1日を大切にするために生活の記録を残していく目的で始めました。
ブログではファンの皆さんからの質問コーナーも設けて、交流を図っていますね
ブログにコメントを貰うと親近感が湧きました。
そして、自分がそれに対してコメントを返すことで読者と近づくことができると思いました。
質問はTwitterとブログの両方で募集中です。
質問コーナーを設けることでより読者と身近になれると思いますし、自分は一人じゃないと感じられます。
以前に引退宣言をした時があったのですが、その際もファンの支えが励みになりました。
ブログでは自身のサッカー界での親友の一人に、横浜Fマリノスユース時代の同期の長谷川アーリアジャスール選手を挙げていました。他にも気になる選手、交流のある選手はいますか?
そうですね。
彼が(2015年夏の)レアル・サラゴサ移籍時には語学はしっかりやるようにアドバイスしました。
海外組ではマイク・ハーフナー選手(現ADOデンハーグ、元横浜Fマリノス)とは交流があります。
(昨シーズン日本人最多の16得点を記録した)彼の活躍は刺激になりましたし、自分もまだまだいけるのではという気にさせてくれました。
乾選手(現エイバル、元横浜Fマリノス)はプロに入ったときからスペインでプレーをすると言い続けてきて、それを達成しました。
技術があるだけでなく、気持ちも強い選手だと感じます。
海外挑戦を目指す日本人選手へ
斎藤選手は海外でのプレーを続けていますが、日本のJリーグでプレーしたい気持ちはありますか?
これまでも何度か軽くオファーはありましたが、今はJリーグでやることは考えていません。
海外でまだやりたいです。
自分がもっとステップアップして憧れのチャンピオンズリーグに出たい気持ちがあります。
そこに到達したならば、古巣の横浜Fマリノスなど、Jリーグでのプレーも考えるかもしれません
(思い出のチャンピオンズリーグは)ACミランがインザーギの2得点でリバプールを倒した試合です。(2006-07シーズン決勝)
今はスペイン、イングランドなどCLで上位に入ってくるチームの試合はよく観ています。
これから海外挑戦を目指す選手に対して、伝えたいことはありますか?
今はJリーグだけでなく大学経由で海外に挑戦してくる選手も増えてきました。
しかし、何かを犠牲にしてでも海外で生き残ってやるという気持ちが足りない選手が多い気がします。
海外でプレーし続ける為には語学をしっかりやることです。
コミュニケーションが取れることで周りからの信頼感も生まれていくからです。
あとはフィジカルの弱さも感じるのでしっかり鍛えてほしいと思います。
若いうちに海外へ来た方が吸収力もあり、成長できるチャンスは広がります。
できるだけ早く来た方がいいと思います。
欧州では10代でも将来有望な選手がたくさんプレーしているので、そういう意味で日本は世界から遅れを取っているのかなと思います。
最後にこれからのサッカー人生で目標を教えてください
チャンピオンズリーグに出るクラブへ行くことです。
そのために今のクラブで点を取り続ける、結果を残すことが必要です。
ラトビアリーグは5人までしか外国人選手がピッチに立てないというルールがあります。
監督・コーチとのコミュニケーションが取りやすいという理由もあり同じくらいの能力を持っていてもロシア人選手が優先して使われます。
このような環境の中で、自分がステップアップする為に結果を残していきたいと思います。
プロフィール
斎藤陽介
1988年4月7日生まれ
174cm 84kg
2007年-2010年 : 横浜F・マリノス
2010年 : ツエーゲン金沢
2011年 : アルビレックス新潟シンガポール(シンガポール)
2012年 : FBグルベネ(ラトビア)
2012年 : FKヴェンツピルス(ラトビア)
2013年-2014年 : FCウファ(ロシア)
2014年 : FCスウツク(ベラルーシ)
2016年 : リガFC(ラトビア)