キングカズの兄、カターレ富山監督・三浦泰年のこれまでのキャリアまとめ
今季、J3カターレ富山で指揮を執る三浦泰年監督。〝キングカズ〟三浦知良も尊敬する兄であり、海外でも監督を経験したヤスのキャリアを紹介します。
テクニシャンだったが全国と無縁だった・・・
日本のサッカー王国、静岡県出身の泰年はテクニックを重視する名門、静岡学園高校でプレーするほどテクニシャンでしたが全国大会には残念ながら出場できませんでした。弟の知良も兄を追って静岡学園に入学するもブラジルへ渡り、泰年も卒業後は知良と同じくブラジルのサントスFCへ留学しました。そして帰国後の1986年に読売クラブへ入団。6シーズンを過ごした後、93年のJリーグ開始に伴い、静岡県に誕生した清水エスパルスへ移籍し、ボランチを主戦場に初代主将を務めました。
弟と共にアメリカW杯を目指す・・・
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93年、W杯初出場を目指していたハンス・オフト監督(当時)率いる日本代表にも選出され、左サイドバックを務めていた都並敏史の長期離脱を埋めるための秘密兵器的な招集でした。兄弟で日本のW杯初出場を目指すドラマは大きな話題となりましたが、アジア最終予選の初戦、サウジアラビア代表戦にスタメン出場も第2戦のイラン代表戦で守備の脆さを露呈すると第3戦からは出場機会が無くなってしまいました。その後、日本代表に招集されることはなくなり、96年に読売クラブを前身とするヴェルディ川崎(現、東京ベルディ)に移籍するも98年に戦力外通告で対談し、アビスパ福岡へ移籍しました。
引退後は指導者へ
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2002年にヴィッセル神戸へ移籍し、弟の知良と読売、V川崎以来3度目のチームメイトとなったが出場機会に恵まれず03年に現役引退。04年に運営母体が大きく変わった神戸でチーム統括本部長に就任し、チームの強化を担当。しかし、05年にJ2降格が決まると責任を取る形で退団することになりました。その後は静岡FC(後に藤枝MYFCと合併)のテキニカルアドバイザーや、東京都世田谷区に小学生、中学生を対象としたクラブチームを設立するなど育成の指導に力を入れ、11年にギラヴァンツ北九州の監督に就任し、Jクラブでの監督業を開始。北九州で結果を残したことが評価され、13年に古巣、東京Vの監督に就任も14年に解任され、15年はタイへ渡り、チェンマイFCを指揮し、今季はカターレ富山を率いることになりました。
困った時は泰年というような選手生活、監督生活を送っていますが、キングカズも一目、置く偉大な兄として結果を残して横浜FCで指揮を執るとJリーグが盛り上がりそうですね。