EURO16この選手に注目!第4回 ダニエレ・デ・ロッシ&チアゴ・モッタ(イタリア代表)
初戦で難敵ベルギーを撃破、続いてスウェーデンにも勝利し、ラウンド16へ進出したイタリア代表。今回は過去3回とは異なる、”地味だけれども味のある”イタリアのベテラン2人にスポットを当てます。
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ローテーションを組む2人
ベルギー戦、アンカーのスタメンで登場したのはローマの中盤を長らく支えるダニエレ・デ・ロッシ。4年前のポーランド&ウクライナ共催大会では初戦のスペイン戦でリベロを務め、その万能性を証明した生粋のロマニスタ(ローマ人、転じてローマの選手の意)は、今回は本職のアンカーで登場。セリエA5連覇の絶対王者ユベントスの選手で固められた3バックと連携し、ベルギーの攻撃を完全に封じます。
ベルギー戦で後半34分、デ・ロッシに代わって投入されたのがパリ・サンジェルマン(PSG)の屋台骨であるチアゴ・モッタ。今のイタリア代表の戦力を考えれば控えにするには惜しすぎるベテラン司令塔ですが、ベテラン故の体力的問題、同じポジションのデ・ロッシとの共存が難しいことから今大会はベンチからの登場が多くなりそうです。
守備的MFながら10番を与えられたのが論争の的となった33歳は、残り時間をしっかり締めるクローザーの役割を担うことになるのでしょうか。デ・ロッシをセンターバックで起用する方法もありますが、アントニオ・コンテ監督は前任クラブのユベントス選手でDFラインを固めたいようです。現在のイタリア代表は、攻撃のタレント不足が否めないため、守備力を重視してデ・ロッシを優先したい側面もあると思われます。
ローマ生まれ、ローマ育ち、キャリアをローマに捧ぐ一途な男
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ローマの下部組織出身で現在もローマ所属とローマ一筋を貫くデ・ロッシは2001年10月のチャンピオンズリーグでトップチームデビュー。2003年3月にセリエAデビューします。2004年にはアテネオリンピックに参加。日本戦でオーバーヘッドを決めるなど活躍し、フル代表にも招集されます。2年後のワールドカップ・ドイツ大会では途中で出場停止を科されたりしながらも優勝に貢献しています。ローマが中田英寿氏などを擁し最後にセリエA優勝した2000-01シーズン当時はまだトップチームにデビューしていなかったため、未だセリエA優勝を経験したことはありませんが、それでも素晴らしい選手に変わりはありません。
苦労の末たどり着いたインテルとイタリア代表
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一方のチアゴ・モッタは実はイタリア人ではありません。祖父がイタリア移民のためイタリア代表入りしていますが、生まれはブラジルです。ブラジルで育ったモッタは17歳の時にバルセロナと契約。デ・ロッシと同じく2001-02シーズンにトップチームデビューし、02-03シーズンにはリーガ最優秀新人賞を受賞します。しかし、順風満帆なデ・ロッシと対照的に、ここからモッタは負傷に苦しみます。04年9月に左十字靭帯を断裂する大怪我を負うなど、徐々に出番を失ったモッタは07年8月にアトレティコ・マドリーに移籍することになります。当時25歳。新人王以外大した実績も無くキャリアは下降線を辿っていました。アトレティコでも才能を開花しきれず1シーズンだけでリリースされ、翌08-09シーズンの開幕を無所属で迎える事態に。キャリアの危機を迎えたモッタ。しかし、08年9月に遅ればせながらイタリアのジェノアと契約し、拾われた格好となった彼はここからとんでもない巻き返しを見せます。08-09シーズンはジェノアの”とんだ拾い物”となり、司令塔としてチームを牽引。シーズン終了後にジョゼ・モウリーニョ率いるインテルへとヘッドハントされると翌09-10シーズン、リーグ、カップ戦、チャンピオンズリーグの3冠を達成。わずか2年で浪人から欧州王者へと上り詰めたので
す。
12年1月にPSGに移籍したモッタの代表デビューは11年2月。チェーザレ・プランデッリ監督(当時)が移民選手の招集に寛容だったため、ようやく代表選手となれたのです。
by AFPBB News
ローマ愛を貫くデ・ロッシと苦労人モッタ。強力なこの2人を同じポジションに揃えたイタリア代表は、史上最弱との評価を受けながらもしぶとく勝ち残っていけるのでしょうか。”カテナチオ”を武器とするイタリアの、中盤のフィルター役に注目です。