FIFA会長賞受賞から1年。91歳になった現役最年長サッカージャーナリスト・賀川浩さん
90歳まで元気で生きることができる人は数少ないものです。その上、90歳を超えて職業人として現役で活躍することができる人は更に数少ないはずです。90歳を超えた現役のサッカー・ジャーナリストの日本人が存在していることを皆さんはご存知でしたか?その方のお名前は賀川浩さん(以降賀川さんと記載)と言います。
by SOCCER KING
賀川さんの略歴
賀川さんは1924年兵庫県神戸市のご出身で御歳91歳。サッカーに関わる人生は神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)時代に始まりました。その当時の神戸一中はサッカー強豪校で、賀川さんの二つ歳上のお兄さんは五度目の全国制覇を成し遂げたイレブンの一人でした。そのお兄さんから依頼されてサッカー部のマネージャーになった事が、賀川さんのサッカーに関わる人生のきっかけでした。
その後神戸一中5年生の時に、突如マネージャーからFWの選手に抜擢されてサッカー選手となり、秋の明治神宮大会で優勝を果たしてしまうのでした。
時代は戦争に向かっているまさに真っ只中でした。明治神宮大会優勝して間もなく太平洋戦争が開戦されたのです。そして戦争末期、賀川さんは何と特攻隊に志願します。突撃まであと数日という時に終戦を向かえ、復員後神戸商業大学(現・神戸大学)に入学します。
神戸商業大学から大阪クラブというチームでサッカー選手を続けて、天皇杯では準優勝を経験されています。選手としてのサッカー人生はここで終了します。
その後賀川さんはサッカーについて執筆するお仕事を開始されます。そのきっかけは知人からの依頼で京都新聞に書いたスウェーデンのヘルシンボリというサッカークラブの来日記事でした。その記事がきっかけとなり産経新聞に入社しスポーツ記者人生が始まります。1975年から10年間はサンケイスポーツ編集局長として活躍された後、1990年フリーランスになられています。
by 就職ジャーナル
サッカージャーナリストとしてのモチベーション
生まれ故郷の神戸でサッカーに目覚めた賀川さんにとって、大阪勤務時代に感じたサッカーに対する熱気の違いは、その後の人生に大きなきっかけを与えてくれた様です。
“サッカーは世界で一番愛されているスポーツ”であるはずなのに、大阪のみならず日本でのサッカーの人気度は決して高いとは言えない。世界的に盛んなスポーツなのに、日本で盛んでないのは、盛んにできていないだけだと考えたと、あるインタビューで述懐されています。だったら盛んにしてみよう。自らの文章力でそんな状況を変えたいと思われたのではないかと思うのです。
誰でも自分の好きな事を他の人たちにも知って欲しいと思うものです。極めて素朴でいわば単純な動機だけれど、その思いを継続する信念が賀川さんの生き方には貫かれているのだと思います。
筆者も同じ思いでこの様に文章を書いているつもりですが、賀川さんという大先輩のことについてを書かせて頂いていると言うのは、とても僭越な事だと恐縮しています。
by OFF-MIKE
旺盛な取材意欲
1974年西ドイツWカップ。賀川さんは初めてWカップの取材に出張されます。日本代表がWカップに初出場するのは1998年のフランス大会ですから、当時サッカーWカップは日本国内では広く興味を集める国際大会ではありませんでした。
ですから賀川さんの出張は社命による普通の出張ではありませんでした。スポーツ紙のメインコンテンツはあくまでもプロ野球という時代です。客観的にみれば必然性のある出張ではなかったのです。その為に、自ら旅費を払い、広告スポンサーを見つけ、志願してという特殊な出張でした。しかも編集局次長が自部署を長期間不在にするという前代未聞の志願出張だったのです。
理解ある上司がいたからこそ可能となった異例の出張で、賀川さんは50歳になろうかという年齢だからこそ理解できるサッカーの奥深さを感じ取って来れたそうです。帰国後、サッカー専門誌で「W杯の旅から」と言うタイトルの連載を1年数ヶ月継続します。サッカーと旅を紀行文風にまとめた連載記事で、今では当たり前になった執筆スタイルをこの時に確立させます。
ちなみに1974年のWカップ優勝は、ヨハン・クライフを中心としたトータル・フットボールのオランダに勝利したフランツ・ベッケンバウアーを中心とした西ドイツ(当時のドイツは東西分裂状態)でした。
by UEFA.com
また、「日本サッカーの父」と言われ、昨年亡くなったデッドマール・クラマーさんとも親交が深かったようです。
2014年FIFA会長賞
2015年1月、賀川さんは世界中のサッカー関係者から注目されることになります。サッカー界に最も貢献したサッカー関係者に贈られるFIFA会長賞を受賞したのです。
プロサッカー選手でもなく、監督だったわけでもなく、FIFAの役員だったわけでもない、いわば一介のスポーツ記者であるだけなのに、世界で最もサッカー界に貢献した人物と最上級の評価を得たのです。勿論日本人として初の快挙です。
授賞式では以下のようにも英語で述べられています。
極東の一記者がFIFA会長賞を受けてよいのだろうかと、しばらく考えました。そして日本サッカーが近年に急速に成長したこと、その成長についてメディアが多少の役割を果たし、そのメディアのなかでの最年長者として会長は私を表彰して下さるのだと思うようになりました。
by 賀川浩の片言隻句
私の英語はそのとき以来進歩していないので、今日の授賞式参列もいささかちゅうちょしたのですが、私の若い仲間たちから、ノイアーやロナウドやメッシに会えるだけでもいいじゃないか、大スターたちのサインをもらうことを忘れないで、と励まされ送り出されました。
by 賀川浩の片言隻句
前出の1974年西ドイツWカップから2014年ブラジルWカップまで、10回のWカップ取材実績を中心として、サッカー・ジャーナリストとしての功績が讃えられたのです。日本人として誇るべき受賞と言えます。
そして賀川さんは現在も91歳という高齢でありながら、現役のサッカー・ジャーナリストとして活躍されています。
by ワールドサッカーファン
選手や監督など本人の前で言えない言葉は記事の中でも使わず、人の良い所を伝えたいと、あるインタビューでコメントされています。このコメントからも賀川さんの人柄が伝わって来ます。
お体に気をつけられて、これからも深く愛情に満ちたサッカー記事を書き続けて頂きたいと筆者は願っております。皆さんも賀川さんの記事を注目して読まれてみて下さい。