ガンバユースの監督に就任決定!ツネ様こと宮本恒靖氏の経歴がやっぱりすごい!
今季からガンバ大阪ユースの監督に就任した宮本恒靖さん。
各年代の日本代表キャプテンを務めた宮本さんの凄すぎる経歴をご紹介!
宮本恒靖〜プロフィール〜
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1977年2月7日生まれ
大阪府出身
愛称:ツネ、ツネ様
現役時代のポジション:DF
現役時代の所属クラブ:ガンバ大阪ユース→ガンバ大阪→レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)→ヴィッセル神戸
ガンバ大阪の下部組織出身。1995年、ガンバ大阪ユースからクラブ初のトップチームへ昇格した宮本さん。
昇格当初は出場機会に恵まれずにいましたが、次第に頭角を現し、2000年にチームキャプテンに就任。
2005年、ガンバ大阪の指揮を執っていた西野朗氏の采配の下、クラブ初のリーグ優勝に貢献しました。
また、プロサッカー選手と学業を両立していた宮本さんは、2001年に同志社大学を卒業。現役時代はインテリサッカー選手としても知られていました。
W杯では‘日本のバットマン’!?…各年代の日本代表キャプテン!
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1993年、宮本さんは日本で開催されたU-17ワールドカップの日本代表メンバーに選ばれ、キャプテンとして出場。ベスト8で大会を終えます。
その後、1997年U-20ワールドカップ日本代表、2000年シドニー五輪U-23日本代表、2001年からは当時フィリップ・トルシエ氏が指揮を執る日本代表でキャプテンを任されました。
各年代の日本代表でキャプテンマークを託された宮本さんは、2002年ワールドカップ日韓共催大会と2006年ドイツ大会へ主将として出場。
日韓ワールドカップは、開幕直前の練習試合で相手選手との競り合いから鼻骨を骨折。この負傷により、予選リーグをフェイスガードを付けて出場しました。
黒いフェイスガードを付けてプレーをする宮本さんは、その姿から海外メディアは日本の「バットマン」と報じ、国内外に強い印象を与え話題になりました。
リーグ優勝も…海外での活躍
2006年、宮本さんはオーストリアリーグのザルツブルクに移籍し、1年目でリーグ優勝を経験。その後もチームの守備の要として活躍しました。
しかし、監督の交代からチームの戦術が変わったことで次第に出場機会を逃す時間が長くなり、2009年にヴィッセル神戸に移籍。出場機会を求めてのJリーグ復帰となりました。
2011年シーズン終了後、チームの世代交代が進んだこともあり宮本さんは、現役引退を発表。惜しまれつつも17年の選手生活にピリオドを打ちました。
引退後はFIFAマスター卒業!…ブラジルW杯にも関わる活躍!
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引退後、サッカー解説者として活動する傍らでスポーツ学の大学院「FIFAマスター」への入学を目指していた宮本さんは、2012年にFIFAマスターの第13期生に合格。
10カ月にわたり、スポーツの歴史、経営、法律を学び、2013年に卒業しました。
2014年、Jリーグの特任理事に就任。また、同年開催のブラジルワールドカップで宮本さんは、出場する国の戦術や傾向、各試合を分析し、テクニカルリポートや大会の総括リポートを作成するテクニカルスタディーグループの一員に選ばれ、大会に関わりました。
現在宮本さんは、紛争を経験した地・ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルで、子供たちが学べるスポーツアカデミーの開設を進めているそうです。
今後は、ガンバ大阪ユースでの采配、ボスニアでのスポーツアカデミーの開設へと宮本さんとサッカーの関わりに注目が高まりそうです。