あのケガがなければ…名古屋GM補佐も務める解説者・小倉隆史

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by J SPORTS

現在、多くのメディアでサッカー解説を担当。名古屋グランパスのゼネラルマネージャーも務める小倉隆史さんについてご紹介します。

小倉隆史〜プロフィール〜

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by Jタウンネット

小倉隆史(おぐら たかふみ)
1973年7月6日生まれ
三重県出身
現役時代歴代所属チーム:四日市中央工業高校→名古屋グランパス→エクセルシオール(オランダ)→名古屋グランパス→ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)→東京ヴェルディ→コンサドーレ札幌→ヴァンフォーレ甲府 ※2006年現役引退

現役時代は、将来を期待された‘レフティモンスター’

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四日市中央工業高校3年生の時、第70回全国高校サッカー選手権で帝京高校と両校同時優勝を飾り、1992年に名古屋グランパスに入団。
翌年には、当時オランダ2部に所属していたエクセルシオールへレンタル移籍をして、チームの得点王となる活躍を見せます。

しかし、1994年に名古屋グランパスからの復帰要請とアトランタ五輪を目指すアンダー世代日本代表の招集もあり、Jリーグへ復帰。
高校時代から‘レフティモンスター’との異名を付けられるほど、左足を使った変貌自在のプレーは、当時アンダー世代日本代表監督の西野朗氏も大きな期待を寄せる選手でした。
そして、当時日本代表監督のファルカン氏も、ストライカーとしての嗅覚の良さに目を付けたひとり。小倉さんは、同年にA代表デビューを飾り、フランス代表を相手にしても果敢にゴールを狙う姿勢を見せました。

2000年、ジェフ市原(当時)に移籍。その後は、東京ヴェルディ、コンサドーレ札幌、ヴァンフォーレ甲府を渡り歩くと、甲府をJ1昇格に導いた2005年のシーズン終了後にチームを退団。翌年に現役引退を発表しました。

悲劇、不運…22歳で負った大怪我

小倉隆史という元サッカー選手の現役時代を語るに、必ず付きまとうのは「悲劇」や「不運」という言葉です。

プロ入り当初から、日本代表や欧州リーグで活躍。その才能に誰もが将来を期待したストライカーに訪れたのは、選手生命を脅かすほどの大怪我でした。
1996年、アトランタ五輪アジア最終予選直前のマレーシアでの合宿中。練習中に右ひざの靱帯を全断してしまう重傷を負ってしまいます。
このケガにより、攻撃の中心選手だった小倉さんはアトランタ五輪のピッチに立つことはできませんでした。

当時22歳。完全復帰までにかかった時間は2年半。その時間の中には、1998年に日本代表が初出場したフランスW杯も開催されています。

現在でも、「あの怪我がなければ…」と語られることも多く、現役時代を「悲劇」や「不運」として表現されることもあります。
それほどに、当時の小倉さんへの期待は大きかったことが伺えるということではないでしょうか。

選手生命を脅かすほどの重傷を負いながらも、小倉さんはJリーグの舞台に復帰をして、前述した通り、その後は4チームを渡り歩いてプレーを続けています。
怪我という‘どん底’から復活を遂げた小倉さんの背中は、多くのファンに勇気を与えました。

引退後は、明るいキャラクターで人気のサッカー解説者へ!

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by 赤鯱新報

引退後は、持ち前の明るいキャラクターで多くのスポーツ番組に出演。TBS系列のサッカー中継では解説を担当しています。

今年6月には、古巣である名古屋グランパスのゼネラルマネージャー(GM)補佐に就任。
今シーズン、名古屋は「愛されたいクラブ宣言」を発表しており、これに小倉さんの親しみある明るいキャラクターが招聘へ繋がったようです。

現在、名古屋で指揮を執るのは西野朗氏。アトランタで共に戦うのことできなかった2人は、近年は優勝から遠ざかっているチームの再建に向けての‘戦い’に共に挑みます。

あの時…‘たられば’が通用しない勝負の世界

「もしも、あの時…」 サッカーに限らず、誰もが人生の中で、一度はこのようなことを思ったことがあるのではないでしょうか。
しかし、現実にある過去の‘あの時’があったから、今が存在します。今、過去の‘あの時’に公開をするならば、今を将来から見る‘あの時’にすれば未来は変わるかもしれません。

サッカーは‘たられば’の通用しない勝負の世界。ロシアW杯を目指す日本代表には、‘もしも、あの時…’を将来に思わせることのない試合を期待したいですね!

SOURCE : ゲキサカ

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