先日行われた東アジアカップ2015において日本代表に見事初選出され、対中国戦でA代表デビューを果たしたガンバ大阪所属のディフェンダー、米倉恒貴選手。
甘いマスクでもあることで話題沸騰中の米倉選手のこれまでの経歴についてまとめてみました。
プロフィール
by SOCCER KING
1988年5月17日生まれ、千葉県出身の米倉選手は中学時代に高円宮杯全日本ユースサッカー選手権でベスト4進出、
高校時代には千葉の強豪校八千代高校においてキャプテンを務め、第85回全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト4進出、大会優秀選手に選ばれるなど若くからその才能を発揮していました。
高校卒業後の2007年、地元のJリーグクラブであるジェフユナイテッド千葉に入団した米倉選手は当初ボランチで起用されていましたが、2013年に右サイドバックに転向。
持ち前の精度の高いクロスを武器に攻撃型サイドバックとして活躍し、ジェフの攻撃陣として欠かせない存在になりました。
翌2014年には複数のクラブからのオファーを受ける中、2年ぶりのJ1復帰を果たしたガンバ大阪に移籍し、シーズン終盤にはガンバのリーグ優勝・国内三冠達成に貢献しました。
攻撃型ディフェンダー
by 千葉市
米倉選手の武器は何と言ってもディフェンダーながら最前線まで駆け上がるほどの攻撃性です。
正確なクロスで得点に絡むだけでなく、米倉選手自身もゴールを決めるほどです。
ジェフ千葉時代のゴール
鮮やかなボレーシュート
怪我の苦悩を乗り越えて
米倉選手の輝かしい今の裏には、多くの怪我を乗り越えてきたという過去があります。
怪我が多くしばらくレギュラーに定着できなかったジェフ入団当初。
左足腓骨骨折の重傷で長期離脱を余儀なくされ、復帰後も先発から外されることが多かった2012年。
右膝の靭帯損傷により2か月間離脱せざるを得なかったガンバ移籍後の2014年。
こうした幾度もの大きな怪我を乗り越えて培われた忍耐力をも武器に、米倉選手は2014年のガンバの栄冠に貢献し、日本代表にまで登りつめました。
今後の更なる活躍に目が離せないですね!