今年は本当に自然災害が多い年である。筆者の地元岡山でも「平成30年7月豪雨災害」が発生し、広島や愛媛でも大きな被害を出している。東日本大震災から現在まで、地震等の災害がいくつか発生し、その都度Jリーグクラブが復興支援活動を実施している。通常は選手が支援物資を届けたり、被災地でのサッカー教室が中心だが、更に付加価値の高い支援活動を行ったクラブがあった。それは愛媛FC。
本日、日頃からお世話になっています高浜地域で、土砂の撤去を行いました。
選手、監督、コーチ達総出で作業を行いましたが、まだまだ高浜地域でさえ、時間も人も足りない現状です。
明日も、愛媛FC総出で野村町へ行き作業を行います。
微力ながらお手伝いを出来ればと思います。#ehimefc pic.twitter.com/xJsl2nMnm1— 愛媛FC (@ehime_fc) 2018年7月9日
豪雨被災地支援活動
8月6日(月)に川井監督、玉林選手の出身地でもある宇和島市での災害ボランティア活動に、選手会を中心に全トップ選手、監督、コーチ、レディース選手等、フロントスタッフも含めて総勢50名で参加した。活動内容は、被災家屋の土砂のかき出し作業等で力仕事であり、下手をしたらコンディション管理にも影響を与える環境なのに、快くクラブ全員で参加している。
2日前にホームでのナイトゲームがあり、まだ試合の疲労が抜けきれていないコンディションのはずが、時間にして10時から15時まで5時間被災地に滞在したことになる。全く頭が下がる内容である。
秋になった今は被災地も涼しくなってきたが、8月上旬といえば未だ酷暑のさなかであり、選手等参加者の体力消耗はいかばかりかと想像に難くない。今回の選手による災害ボランティアには実は布石がある。2013年に宮城県名取市で、東日本大震災での側溝捜索ボランティア活動に選手で参加している。なので、急に思いついたように実施した活動ではなく、愛媛FCにとっては当たり前のような行動だったわけである。
愛媛FCというクラブ
2005年にJリーグに加盟。愛媛県主導で、スタジアムイベントで県下全市町村を順番に市町村デーを実施するなど、経営的に行政色が強いクラブである。2015年には2年間の不適切な会計処理が発覚するという悪いニュースがあったが、同じ2015年にはクラブ初のJ1昇格プレーオフに出場するという明るいニュースもあった。また、2011年に外部に移管したセカンドチームが、「FC今治」となり、狭い愛媛県内にもう一つ将来Jリーグ入りしそうなチームができてしまう。今治は今回J3ライセンスを取得し、更に緊張感が増している。また、メインスポンサーの大王製紙の不正事件もあったが、2016年からスポンサーとして復帰している。愚直に地方のJ2クラブとして運営してきたが、周りの環境は目まぐるしく変化している。
愛媛FCの地域・社会貢献活動
中四国で一番と思えるくらいに、その活動レベルは高い。まずは「1市町1選手応援事業」。これは県下の市町に担当選手を置いて、その担当市町のPR活動にも選手が協力するというもの。「マッチシティ&マッチタウン」はホーム戦を順番に「県下20市町の日」として振り分け、各試合にて、各市町のPRイベントを行うもので、「1市町1選手応援事業」はそれが進化した形。2016年には「東北復興支援 ドキュメンタリー映画「MARCH」」を制作し、県下の学校や職場、自治体での上映している。
地域に根差す愛媛FC
Jクラブはどれだけ地域に根が張れるか、それが100年続く目安であると個人的に認識している。愛媛FCは、ホームゲーム全試合テレビ録画中継を実現している。地方クラブでは画期的な待遇である。
人口が少なく、同じ県内に他のプロスポーツチームがあり、最寄りの駅から徒歩では行けないホームスタジアムと、環境は他のクラブと比べて不利だと言える。
それでも、愛媛FCは地域と程よい距離感で、着実に地域に根差していっていると思われる。